オリンピック招致に託けて国内の恥ずかしい文化を一掃するべくオタク文化を規制して滅ぼしてスポーツ一辺倒の教育を施せば真っ当な人間に育つのではと目された。
そこでオタク達は自分達の生存権を守るための戦いをこの30年以上やって来た筈だったのではなかろうかと思ったが、最後の砦たるコミケは結局開催されることはなかった。
8月はオリンピックでビッグサイトが使われなくなるから5月に日程をずらして開催させる方向で調整していた筈だったのだが、コロナ禍を理由に断念することとなってしまった。
冬のコミケも当然中止となってしまった。
1年が経ち、再び5月開催を目指すかと思いきやそれもなかった。
オリンピックが始まって愈々懸念事項が過ぎるかと思いきやその冬のコミケの話すら出て来ない。
大体通常通りなら年末に合わせて夏の時期に準備をする筈なのだがその気配すらないのである。
結論から言うと完全に怖気付いてしまったのだろう。
初めから最後まで社会的評価の陰に隠れていたから悪評が立てば二度と開催することはなく再びオタクそのものが地獄に突き落とされるという結果しか待たないのである。
あれだけ熱中症で騒がれていてもコミケは開催して来たのだが、日本全体が丸でコロナに怖気付いてしまったからコミケを支えて来たつもりのオタク達も当然今更ながら社会に倣えをしてしまったのである。
自ら社会の奴隷に再び成り果ててしまうのは余りにも滑稽でしかない。
今まで警察権力によるパターナリズムをこの30年間で追い払って来た筈だったのに、もう一つのパターナリズムに恐れをなしてしまい再び萎縮してしまっている。
もう一つのパターナリズムとは医療のことである。
オタクはある意味ピュアでもある為にパターナリズムの権化たる医者らの悪意を見抜けない。
インフォームドコンセントも知らないだろう。
セカンドオピニオンも恐らく知らないのだろう。
今まで引き籠ってて不健康な生活を半ば自覚ありで送っていた筈なのに医者のパターナリズムで右往左往する様は結局オタク達が世間の評価を気にし過ぎて恐れを成していた他ならない。
結局54万票を獲得してもまだ公民の自覚がなくてスタートラインから一歩だけ足を踏み入れただけに過ぎなかった。
偏にオタク達自身も国家権力の直接間接問わずそうしたパターナリズムの庇護の下で暮らして来たからというものもあるのだろう。
パターナリズムは庇護する傍ら相手に脅しをかける。
そうして相手を萎縮させ行動を縛る。
パターナリズムが発揮されたケースはロッキン中止を嫌らしく迫った茨城県医師会がそうだった。
この顚末を見て何も感じなければ家畜も同然だろう。
我慢すれば良い結果が待っているとは誰がそんなことを言ったのだろう。
パターナリズムが施してくれると言うのだろか?
既に各医師会なんてのは我慢なんかしてないのだから言うことを聞く必要もないのである。
これが出来ないからいつまで経っても外に出られない。
ここまで特殊な事例はないだろう。
オタク自身が公民であることを忘れて家畜であることを良しとすることに逆戻りしてしまった。
感染対策をすれば良いのだからいくらでも開けばいいのである。
でもそこまで頭が回らない。
ずっとネガティブなイメージしか付き纏わなくて悪い結果しか導こうとしない。
感染したって誰も悪くないという発想にいかない。
結局これは感染させたら悪という罪をなすりつけられているからである。
こうして思考が硬直化するのでコミケやらオタクイベントも開けずにずっと先送りになってしまっているのである。
引き籠っているだけならまだしも、憎悪を他者にぶつけることも出て来てしまう。
ここまで来るともはや救いようがないのだが、いつ気付くのだろうかと思う。
彼らにしてみれば隷属状態なのでワクチンさえあればという思考に陥ってしまっている。
ワクチン打とうが打つまいが、他者を呪い続けることは止めはしないのだろう。
気付くまで永遠に明日は来ない。