2020年の東京オリンピックまでオタク文化が一掃されなきゃいいけど

タイトルの通りです。 オタク文化を権力に縋る連中から守るためにブログを書くことにしました。 微細な力ですがどうかよろしくお願いします。

くまみことパターナリズム

詳しい解説は避けよう。

最近なるべくアニメはチェックして観るようにはしている。

このアニメは個人的には面白かった。

だが、ネットでは少し荒れてしまったようだ。

漫画原作でそれをアニメ化した作品だが、このアニメの終わり方は原作とは違うような終わり方をしたらしい。

自分は原作ではなくてアニメを観る派である。

面白かったが原作を読もうとは思わない。






舞台はとある東北の山奥。

仙台を東北の首都と位置づけているような東北を舞台としたアニメ。

東北なのに巫女役であるまちの巫女服は蝦夷紋様をあしらった衣裳を纏っている。

そして北海道にしかいない羆がいてしかも人語を解し機械さえも操作する。

まちよりも機械の扱いには長けておりタブレット片手に商品の購入をしたりとかなり近代化された熊である。

村興しのために担ぎ出された中学生のまちは嫌々ながらも町興しに参加させられるのだが、結局周りに溶け込めなくて引き籠もってしまうのであった。

羆のナツはこんなことを言う。

「そのままでいいんだよ」 

「何もしなくてもいいんだよ」 

まちは中学を卒業したら都会へ出る気持ちでいた。

しかし都会は苛酷だったようで山奥へと引き籠もる。

引き籠もることを是としたアニメって、これなんか前にあったような気がする。

エヴァンゲリオンのテレビ放映版である。

劇場版とテレビ放映版と新劇場版の三つは公式にあるのだが、オリジナルはそのテレビ放映版である。

もう20年も前である。

苛酷な世界に居なくても良い、ずっと有りの儘の自分の儘で良いと肯定させる形で終わった。

20年前だったら評価出来たであろう。

しかし、20年も経てば時代が変わってしまう。

エヴァを観ていた視聴者はもう何れか父か母になっている筈だ。

大人なのである。

引き篭もってはいられない年である。

大人社会がそうさせたのだから子供達には罪はない、と言われそうだがその大人とて年を取って軈ていなくなってしまう。

軈てこの世界を背負って立たねばならない。

そうやって子供達に宿命を背負わされていたのである。

皮肉にも、アニメは子供の観るものではなくなった。

少子化で採算が取れなくなりアニメは大人が観る深夜枠へと追い遣られてしまっている。

エヴァでは通用した甘ったるい感覚であったが、それは観る大人には通用しなくなっていた。

他の視聴者はどう感じていたかはわからなかったが、少なくとも、というか自分が観た感じではこんな形で良いのかなと思ってしまった。

変わらない自分を肯定するのはある種の甘えと捉えられる、が、成長しない事を前提とするアニメはいつだって変わらないで終わるのである。

ちびまる子ちゃん、ドラえもん、ルパン三世、コナン、サザエさん、クレヨンしんちゃん。

ロングランアニメはいつまでたっても年を取らない前提である。

だが、ドラえもんは映画では微妙な変化を演じさせていたようであった。

藤子F不二雄が原作を手掛けていた頃の映画ではドラえもんやのび太に変化を与えさせる演出をさせていた、らしい。

ドラえもんの道具が使えなくなったり、ドラえもんが機能停止に陥ったり、世界が滅んだりとこの時のび太ならどうするという判断が求められていた、ようなのである。

試練を与えるのだという。

そう言えばまほろまてぃっくも美里優に数々の試練を与えていたようだ。

まほろが機能停止するタイムリミットという設定を設けた筈だったのに、優が成長させるにはそれが優自身への成長にはならない、ということに気付かされたようである。 

まほろまてぃっくはエヴァンゲリオンの続篇と自分の中では勝手に位置づけている。

作者両方共エヴァのファンであり、アニメはGAINAXとエヴァを手掛けたアニメ会社であった。

エヴァから突き放されてしまった子供達は自分なりに結論を追い求めようとしていたのである。

本田透が言うにはそれが鍵作品(ビジュアルアーツの作品)であると。

千仭の谷から突き落とされた子は如何にして這い上がるか。

皆で結論を見出そうとしていたのだが…。

しかし、誰もそれは見つけることが出来ずに遂には親が教導する羽目となってしまう。

子供は何時迄も子供なのである。

千と千尋の神隠しでもあれはあれで自立を謳うような話と目されるがそんなものではない。

子供である庵野秀明のことを親である宮﨑駿の方が分かっていたのである。

帰る所があれば元に戻ってしまう、そしてダメな大人の責任を子供が背負うというものである。

キャラクターたちは作者の作った試練を乗り越えてゆく。

そうできている。

話を戻すがくまみこでのまちも試練の連続である。

成功したり失敗したり続くが結局克服が出来ずに引き籠もりを選んでしまう。

作中でも既に用意されていた。

自分で窯に火を熾さなくても電気さえあればご飯が炊けるし、全国一律での商品も届く。

服装も都会と何ら変わらないものが売られていたりする。

差異は殆ど無くて最早まちの思い過ごしではないかということさえ感じられる。

心の壁が出来てしまっているようだ。

丸でATフィールドのように。

まちの自立を促すのはナツである。

ナツはまちにとって父親みたいな存在である。 

無条件にまちの甘えを受け入れてしまっている。

「何も考えなくていい」 

とナツは言った。

余計なことを考えなくて済む時代である。

これこそが、パターナリズム。

漸く本題である。

パターナリズムとは家父長制度、家父長主義である。

良かれと思って権力者が被支配層にあれこれ教えを導いたり指図したり、余計なことをしないように障碍を払い除けたりする父親の温情を意味する。

ナツの体は大きい。

体が大きいことはそれは恰も父親の如くである。

しかしこのパターナリズム、どうも最近の潮流のようである。

しかも世界的に蔓延しえいる。

考えることに倦んだ民は父親に全てを託そうとする。

成長するのを拒む子供達が日本だけでなく世界中にも蔓延っている。

苛酷な世界に生かされている子供達は父親の元へ帰りたがっている。

父親に全てを任せればいいと子供は願っている。


 

 




 

















誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃12 最後の拠

ヘイトスピーチ対策法案が反対者7名を除いて参議院を可決した。


自公民共の与野党は賛成をしている。

反対者は今や無所属となった山田太郎議員、 日本こころ党の3人、社民党の2人(3人いる内の社民党の一人は欠席)、小澤一郎の生活が第一のメロリンQの一人と合わせて7人である。

意外であろう。

リベラル左派系が反対に回っている。

この法案は法律で規定されても罰則規定がない。

違法と分かっていながらも取り締まれないのである。

右派とすれば表現の自由に抵触するから反対に回り、左派としたら罰則規定がないので取り締まれないから反対、ということだろう。

最右派とされる日本のこころはどうせ韓国もヘイトスピーチやってるじゃないかという構えだろう。

それは当然だとしても、 果たして相手と同レベルで良いのかと思ってしまう。

政治家なんだから別のやり方の表現の仕方だってあるだろうと思う。

デモ行進は表現の自由と集会結社の自由と言論の自由といった人々の自然権の一つである。

何も持たない人達の最後の拠がデモ行進である。

しかし、左派が何度も何度もデモ行進をしながら一向に効果が上がらないのに、右派のデモ行進が社会的な影響を及ぼしているのだから左派は完全に負けたと言っても良い。

反天連や共産党系の米軍基地反対運動は権力への抵抗らしいからヘイトにはならない、そうである。

左派系のデモは内輪で終わることが多く、共感されることがない。

去年の夏の国会前の狂騒は左派、即ち共産党系が仕組んだことではあったが一時期注目を集めたが年度が過ぎて学生だったものが卒業すると運動を続けることが出来なくなる。

それでも、続けようとして隠れ蓑にしながらも政治運動に加担しても悉く負けてしまっているのが現状である。

それで右派が伸びているかといえばそうではないようだ。

右派のデモも回を重ねる毎に規模が小さくなっていっているそうである。

これも失敗と挫折に端を発するからだろう。

元会長の桜井誠率いる在特会が裁判で負けたこと、そして記憶の彼方ではあろうが橋下徹元市長との対談の失敗だと感じる。

あれは外国籍の人々への憎悪ではなく、マスコミへの憎悪を開陳させただけに過ぎなかった。

お台場フジテレビデモもマスコミ批判であった。

曰く「マスコミは正しい情報を伝えていない」 

これはどの立場でも言えることだが、右派左派共に唱えるようだ。

正直、あの頃のお台場フジテレビデモの方がまだ牧歌的ではあった。

やられた方に取っては迷惑この上ないだろうけど。

その前にはフジテレビが日韓共催のワールドカップに配慮したような姿勢で報道したせいか、ネット住民が反撥して27時間企画の海岸ゴミ拾いを敢行してしまい放送時にはすっかり綺麗になってしまったという“事件”が起きていた。

この頃のネット住民は“まだ健全”である。

まだ健全だったのだ。

愛媛県がつくる会系の教科書を採択した時には愛媛のジュースを飲むオフ会などが開かれていたりと、殆ど“誰も傷つけない”ような表現活動をしていた。

何時頃からだろう、ここまで来てしまったのは。

どこまでならやってよいかという線引を自らしていたのに、それを破って、表現の自由というのを言い訳にして批判とは無関係な繁華街で罵詈雑言を号び捲くる。

個人的な感想としては、あれは言論戦だった筈なのになぜ続ける理由を表現の自由に押し込めてしまうのか。

表現の自由に引っ込めたらその言論戦はお終いである。

韓国大使館でやれと思うが、大使館は静謐を保つことが前提なので出来ない。

だからコリアタウンで喚き散らすのだろう。

当て擦りである。

デマでも表現の自由でいいのかと思う。

結局自分が満足すればそれでいいのだろう。 

前述の反天連の皇室侮辱デモや左翼劇団の皇室侮辱寸劇で満足するのと同じである。

不敬罪がないから自由なのだ。

いくら不平不満をぶちまけても自分達の立場が変わらないのだから皇室も大らかである。

しかし、罰則規定はないがヘイトスピーチは違法と決まった。

正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。

PDFは法律案とされているがこれは通るので案は消える。

法律なので国または自治体はこれを解消する努力を義務付けられる。

罰則規定はないが法律なので、民事になったら絶対に負ける。

この法案が通った背景はやはり在特会が京都朝鮮学校の件の裁判で負けたからだろう。

上記に挙げたがこれがターニングポイントとなりこの一連のデモ行進が小さくなってゆく。

国連の人種差別撤廃条約に日本は加盟している。

それだからこそ、人種差別解消に努めなければならないのだという。

なぜか、アメリカでさえも躊躇しているような条約にさえも日本は国連の名のもとに批准したりしているケースが多い。

捕鯨や女子差別、児童虐待、今はこれらを取り上げないが国内で負けた者達がこれらを掲げて言論の武器にしているようだ。

今回の法案にも出版物への取り締まりも条項に入れられているという。




提案者のみならず、与野党の狙いとは嫌いなものや気に入らないものを合法的に排除することの出来る法的拘束力を持たすということだろう。

しかし、法案を「本邦外出身者」と限定させたことが昨今の問題を如実に表したものだと思う。

ヘイトスピーチ規制はどこまで掛かるかという際限なき所まで広がる。

米軍基地反対運動だって潰される。

外資系企業デモや外資批判の出版物でさえも不当差別として排除される可能性だってある。

非対称性を論った上で限定させたのは賢い選択である。

他に問題が生じればその都度議論を重ねればいいのだ。

江戸時代みたく何でもかんでも禁止の掟なんかやる必要ない。

お上じゃなくて国民が物を考えるきっかけを作らねばならない。

それが公民であり国民である。

お上がそうしろでは江戸時代である。

残念ながら国民はそのことが理解出来ているのがそう多くはない。

だからお上任せになってしまう。

お上に逆らわなければ安泰と考えてしまうのがこの国というかこの列島住民といった所か。

それをそうさせたのは他でもなく警察であって、その国民感情を見事汲み取らせて今のガチガチの規制法案だらけにしてしまったといったところだろう。

本邦外出身者とは何のことか、これは戦中戦前だったら「外地出身者」である。

適法に住んでいるというのも特別永住者のことである。

判っているのかそれが判っていてヘイトスピーチを繰り返しているのか、どうしようもない。

朝鮮半島は長らく李氏朝鮮(李家の支配する朝鮮半島)として500年近く存在していた。

明や清に従い国としての形はなさず附庸国として収まり、苛斂誅求を極めながらも、日清戦争を期に清からの軛を解き放ち独立国『大韓帝国』として出発するのであった。

しかし、当時の大韓帝国の財政は破綻していて日本と合邦せざるを得ない状況まで陥ってしまった。

今で言うところのダイエーがイオングループに入って完全消滅するようなものだろう。

倭国(ジャスコ) が日本(イオン)と名を変えて出発するようなものだろう。

半島に住んでいた者は国籍が日本となり名実ともに日本人となる。

理由は様々であろうが日本(内地)へ渡る者が戦前にはかなり存在していた。

彼等が後の一世となる。 

そこで生まれた者達は二世となる。

兪炳彦(あきひこ)や李明博(あきひろ)はその影響で創氏改名とは関係なく日本名を名乗ったのだろう。

だが、日本が戦争に負け連合国に分割統治されるとそれまで日本人だった人々は無国籍扱いとなってしまうのであった。

そこで、便宜的に図られた籍が即ち“朝鮮籍”であった。

ここらへんがややこしく、理解出来る者が果たしているのかどうかである。 

実際、米ソが半島を統治していてもその当時の朝鮮人(日本国籍保有者たる朝鮮人)には日本国籍がまだあった。

分割統治だったし、まだ南北共々建国されていなかったのでまだ日本人だった。

それもあって日本(ここでは列島含む内地)にいた朝鮮人もまた日本人であった。

それだけでなくサンフランシスコ講和条約が発行されるまで朝鮮は日本であった。

日本政府が連合国との取り決めを認めるまで朝鮮の独立はされることがなかった。※米ソはとっくに南北朝鮮を独立させてしまった。

占領下の日本には外交権などの特権は持ち合わせていなかったので他の国の領有権とか独立とかを口に出来る訳でもなかった。

講和条約で完全に権原の放棄を認めさせ、且つ独立の承認も行うのである。

それでも嘗ての日本領だった国とまともに国交を結ぶのはそれから暫くして後であった。

所謂過去の清算とかではあるが、それは国交を結ぶことにおいてはお互いその主張を放棄することが前提であった。

慰安婦の話も過去のことは全て洗い流すことで始まったのだが…。

それからまた数十年後、慰安婦で突き上げようとしても、日韓合意のもとで行われたので今後ともそういったことで言い合うのは無しよと決まった。

政府レベルで日韓の蟠りをなくそうと努力をするのである。

理由は簡単で、日韓が啀み合っていると北東アジアの安寧が保てないとアメリカが判断するからである。

アメリカが日本と韓国の中が悪かったことは知っていたのだ。

しかし、アメリカがなぜ極東のこんな啀み合いを理解していたのだろうか?

やっぱり、ヘイトスピーチが話題になっていたからであろう。

卵が先か鶏が先か、ではないが何時の間にかあのような事態になっていたのだ。

日本の戦後と、国民の自尊心なんか戦勝国であるアメリカが理解しようとも思わなかったのに。

今迄敗戦国の犯罪民族だと刷り込ませれば日本人は二度と逆らわずに大人しくなっていただろうと、アメリカは考えていた。

しかしそうではなかった。

歴史を回顧する運動が盛んになっていた。

日本人の意識が変わったきっかけは何度も挙げている「慰安婦」である。

歴史教科書に慰安婦のことが乗ろうとしていた。

今迄自虐史観教育で書かれていた教科書に更に「強姦魔」としての日本人のイメージが刷り込まれる。

殆どデマレベルの話題が教科書に載ろうとしていたのだ。

それを改善しようと保守派が立ち上がり、教科書を自分達で作って検定を通そうではないかという運動が起こった。

これは20年前以上の話である。

一気に攻勢が逆転したが戦後体制に乗っかっていた連中は負けじとあらゆる工作を策動して小さな勝利を得ようとしてきた。

こういうシーソーゲームが20年続く。

日本の問題だったのに負けたくない人々は韓国を巻き添えにして逆転を図ろうともした。

押し合い圧し合いの最中、堪え切れずに直截デモに訴えようとする勢力も出始める。

それが昨今の問題の引き金でもある。

しかし、彼等がそこからスタートした訳ではない。

自虐史観で教育しようとしても自分達の教育とは別で元々外国人嫌いは一定数存在する。

公平性を信じる人々もいて、それが重ね合わさったりして、外国人差別に繋がるケースもある。

所謂、在特会系の起こりは韓国人がという問題ではなく、不法滞在者がゴネて居座るのを赦せないと主張し始め、時には不法滞在者への罵詈雑言、誹謗中傷まで叫び始めたりする者が出て来るのである。

ヘイトスピーチ規制は本来であるならばこうした人達を救うべきである筈なのだが、「本邦外出身者」と規定したので法律の意味を成さなくなってしまっている。

なぜ「本邦外出身者」 と規定したのだろう。

理由は「不法滞在者」を保護しようとすると政府の方針が揺らぐからである。

日本は難民を認めていない。

シリア難民を「留学生」として受け容れる。

難民を認めると、外国人が大量に入り始めるからだろう。

日本の富を狙ってくるのが多くなるからである。

テレビでも話題になったが出稼ぎでやって来てビザが切れて不法滞在となってしまった一家がいた。

本来であるならば入管が取り締まって強制送還させるのが普通であるが、その一家には日本語しか知らない子供がいた。

祖国を知らない子供に親と共に強制送還させるのは冷酷ではないかと言う運動が起こった。

それで、テレビで常にやる不法滞在者取り締まりの番組を見て感化された人達はそうした家族に向けて罵詈雑言を浴びせるのである。

テレビの影響力は計り知れない。

警察が常に自分達のレジテマシーを表すために地上波ゴールデンで警察24時系の番組をどこのテレビ局でも行っている。

こう言う番組はいろんな犯罪者を挙げる。

交通違反や路上のいざこざ、万引き、不法滞在者、麻薬取締、 そしてわいせつDVDやら中には児童ポルノソフトとされるところまで大々的に報道して犯罪者を徹底的に取り締まる、という話である。

誘拐犯とかじゃなくて映像を持っていただけである。

こうして警察権力を強めていくのだが、わざと刷り込ますことでオタクまでも犯罪者にしようと仕立てて治安維持につとめていったのだが、どれだけ無辜のオタク達が社会的に抹殺されて来たのだろう。

警察は治安維持の為に真実さえミスリードさせようとする。

麻薬も本来はそうなのだが、取り締まりのためにさも重大犯罪として仕立てる。

性虐待、児童虐待、それにかかる映像記録としての保管、誘拐、売春斡旋、本来はこれを取り締まるべきなのではあるが、世間が不気味と感じるだけでオタクたちを取り締まろうとする法律を作ろうとすること。

世間の心的不安を解消させるための取り締まりである。

属性で決め込んで人を取り締まるのは人権侵害なのではないのかと思うのだが、世間はそんなことも露にも感じていないのが恐ろしい。

それもオタクが幼女を攫うというイメージが付いてしまったためである。

ここ30年の歴史でもある。

世界的に話題になっているヘイトスピーチも難民への迫害を防ぐためなのだが、日本ではそれがあのような形となってしまった。

その対策法に反対した人達はその理由を挙げている。

合法的に住んでいるのなら抑の法律として起用させる必要もないのだ。

人権を守るということは日本でも認めているのだから。

不法滞在者を認めたくない政府の思惑が重なって本来の意味が抜け落ちて、政府の目的でもある体制の維持のためとして表現規制にまで重ねて乗り込もうとしていたのだから恐ろしい。

本邦外出身者とは元々日本人だった者達という意味である。

無国籍となるので便宜的に国籍を与えられる。

このことが理解出来なくて、理解しようともしなくて、恰も不法滞在者としてゴネて居座っていると思い込んでデモを始めたのが在特会であった。

それはデマだったのだが、ただ単に韓国や北朝鮮が憎いからその一角に適法に住んでいる人達に当て擦って攻撃を始める。

分かっていたから今では表現の自由だとしてデモを続けている。

デマであると認めたくないから表現の自由に逃げてしまう。

自分達に落ち度があると認めたくないから、最後の拠に逃げる。

これは負けると死ぬ病気に罹っている人達でもいるのだろう。

負けることを認めると、その場所にいられなくなるからだ。

自分達が作った世間が大事なのである。

反論することも自由である。

反論する表現の自由、言論の自由だってあるのだ。

規制には反対だがそれは大いにやるべきである。

そうしないと、結局蟠りをまた作ってしまう。

そうして「良い方向」へ進むと良いのだが。







ヘイト・スピーチという危害
ジェレミー・ウォルドロン
みすず書房
2015-04-11




ヘイト・スピーチの法的研究
金 尚均
法律文化社
2014-09-16












ネットと愛国 (講談社+α文庫)
安田 浩一
講談社
2015-11-20





 








あした、ネトウヨ治るかな?
Taka
さがみはら文庫
2014-04-03




出版物を挙げたが、かの対策法は出版物への規制まで謳っている。

表現の自由は固より、規制なんかしたら権力維持に手を貸すことになるのではないか。

この辺り鈍感であってはならない。 

奴隷として生まれて その二『過去に取り残された人々』

前回の続きではある。

暫くこのシリーズで考えてみようかと思う。

気に入らないものを排撃せよという動きは今に始まったことではない。

支配と被支配の関係が生まれてからずっと続いている。

表現は時として真実を映し出す鏡である。

だが、その姿を見たくない者はいる。

見たくないゆえに、その鏡を叩き割ろうとする。

自分の地位が脅かされないように、表現と表現者をこの世から抹殺しようと考える。

これは何時の時代、どこの場所でも限ったことではなく、常に行われてきた。

支配者が統治の理論を振り翳す時に用いるのが道徳である。

被支配層が秩序を維持することは当然という振る舞いを振る舞わせるのである。 

現代、近代だったらそれは法律でもって人を支配することが決められた。

それは当然で、マンパワーを動員するためには人を多く、そして国民を作らねばならなかった必然性があったからである。

前近代は国民なんて存在しなかった。

多く土地を所有し人を契約で支配し、掟で秩序を維持して来た。

急激な近代化に因ってついて行けない人々の為に移行措置が取られていた。

明治期における華族及び士族制度だろう。 

所謂平民にも苗字が名乗れるようになって、これまで特権を享受してきた階層の者が没落し、政府に時として逆らい始めたりして来た。

今思えば、ものすごく馬鹿馬鹿しい叛乱である。

西南戦争は別としても自分達の特権がなくなって近代化を推し進める政府に叛乱をしていただけなのだ。

この頃の明治政府は今で言うところのアジアや中東やアフリカ諸国みたいなものだろう。

政府の機能もそれ程強い訳でもなく、強権を揮わなければ自分達が押し潰されてしまうからである。

明治大正昭和を経て各階層の者達の特権を剥がし、国民を醸成させて来たが、政府は家の事までは介入出来なかった。

家の中での決まり事が江戸時代から明治、昭和を経て平成がこれから30年になろうとしていても『家の中の決まり事』が消滅することはなかった。

家はプライベートの事でこれ自体誰しもが口に出せるものではないと皆が思っている。

実は、昨今の話題になっている児童虐待もこの『家の中の決まり事』に由来するものである。

一家心中がなくならないのも国民が社会の構成員であると同時に『家族の構成員』でもある。

親から貰った体と言う言い方は、子供は親の所有物という概念である。

子供に習い事を強制させたりいまだに婚礼に介入したり就職を決めたりするのもその名残である。

只管自己責任自己実現自己決定権が叫ばれ続けるのもそうした150年もの間に残る因襲の排除だろう。

この戦後70余年、端から見れば女権拡大に見えるだろう。

表向きの差別が解消されても力の差で遠く及ばないこともある。

それ故に負け惜しみのように高い下駄を履かせろみたいな意見も出て来る。

流石に、国は政府は機会の平等の原則を取っているので、一部国民に特権を与えるようなことは出来ない。

高い下駄を履かせると同時に、力あるものの力を制限するという話である。

時として陳情をして色々働きかけようとしている。 

生まれながらにして特権を持っている状態、制度や財産を引き継いでいるような人を持たざる者が批難する権利を有し制度を是正させることの出来る権利を『権力勾配』や『非対称』というらしい。

これは『奴隷道徳』そのものなのだが、権利を獲得しようとする人は大体権力志向である。

現在、制度的な差別は一見解消された、かに見えた。

だが、そういう訳でもない。

男女共同参画並びに男女雇用機会均等法が成立されても、それでも力の及ばない人達がいる。

況してや新自由主義に突入してしまったのだから不遇であることは自己責任である事他ならないのだが、それでも制度的な差別があると信じている人々がいる。

幾度と無く何度も何度も問題として取り上げ、企業は外圧に曝されながらも是正しようとして来た。

男が特権を独占し正業に就けない女は賤業に就かざるを得なくなり男の慰みものにされていると言う価値観。

実はこれがそう思っている人々が共有している価値観である。

さて、その賤業と言う価値観はどこから来るか、これも実は前近代の価値観そのものである。

2chには嫌儲と言う言葉がある。

文字通り儲けること稼ぎまくることを嫌う言葉である。

企業が儲けることが気に入らない、有名人が稼ぐことを嫌う、自分たちのお金が奪われているという感覚である。

商売が長らく賤業と思われたのは努力しないで利鞘を得るという事を嫌う頑迷固陋な価値観から来るのだったのだが、流通がどのようにして成り立っていったのかさえ分からないのである。

道路建設や鉄道建設が如何に重要なのかさえ理解しようとしないのもこうした流通、商売そのものを否定する価値観が横たわっているからである。

江戸時代、商売人が身分の下層に置かれていても実際は武士を圧倒して時には金で身分を買ってしまうこともあった。

流通が整備されると飛躍的に発展するのである。

しかし、見た目ではよく分からない。

この見た目ではよく分からない職業で利益を得る、形に残らないもので利益を得る事への忌避感はいまだに残るのである。

サービス業もそれの一つである。

所謂、売春も形には残らないものである。

前近代ではそれが根強く残っていて差別されて可哀想であると同時に、こんな職業に身を窶すなんて可哀想という職業差別的な感覚が表れたりもした。

時が流れて一見意識が変わったように思えても、根底の部分では残っていたりする。

差別心を持つことは、自分達の立場を温存させるための感情の一つである。

ある意味、自分達の立場を満足させるために差別的感情が残されているのかも知れない。

何故、差別を否定しながらも差別心を肯定するに至る感情を持つのか、次回にまた考えようと思う。
 


 
現代流通の諸相
坂本 秀夫
同友館
2016-02-16


1からの流通論
石原 武政
碩学舎
2008-09




小売・流通用語集
学校法人中内学園流通科学大学
商業界
2016-02-22

 

だがしかしを観終えて

既に突っ込みがあったようだが、このアニメってピューと吹くジャガーにそっくりなんだよね。

 













ココノツの父の声が藤原啓治、無論知っている人ならこの人はジャガージュン市の声もやっている。

駄菓子屋(珍笛職人)の後を継ぎたくないココノツ(ピヨ彦)は自分の夢である漫画家(ミュージシャン)になりたいと言う事を叶えるべく出て行くが、そこに立ち開かる謎の人物ほたる(ジャガージュン市)が主人公を阻止しようと駄菓子(笛)の素晴らしさを説こうと説得に奔るのである。

ココノツの父と駄菓子に詳しいほたるがどうして知り合えているのか不明だが、ジャガージュン市とピヨ彦の父のハメ字郎が知り合った謂れも一体どうなっているのか分からず終いであった。

あの時、ピヨ彦が帰省した時にジャガーがピヨ彦の家に上がり込んでいて寛いでいたし、しかも親子でしか知り合えないピヨ彦の仇名までジャガーが出会った当初から知っていたのである。

だけれども、うすた漫画の違いはうすた京介が余りというか殆ど出して来なかったお色気系が出ていることである。

ほたるの胸がでかい。

なんかそればっかり。

駄菓子がテーマだから実際に売り出している駄菓子が出て来ているな。

メーカーさまさまだろう。

コラボの駄菓子も既に売り出されている。

どうあれ、宣伝の手助けとなればよいのだから。


 

















だがしかし ORIGINAL SOUNDTRACK
大隅知宇
ポニーキャニオン
2016-03-16


















ジャガーもほたるも周りとは違った特殊なコスをしてたよなあ。

四月は君の嘘の感想

この舞台は練馬区がモデルとなっているらしい。

あざとい聖地巡礼タイプだ(笑)

とは言っても原作がそうなのだから仕方ないのかもしれない。

主役は皆中学生。

大体学園アニメって高校生が主役なんだけど、まだセカイが狭い中学生ならそれもありということなのだろうか。

発達段階で区分けするって丸でそれこそ教育アニメだよなあと思う。

























アレとは言わなくても分かるがCLANNADである。

病弱なヒロインとそして早くに喪った母親、ヒロインの家がケーキ屋、見失っていた一つの目標に向かう人々、周りとの友情、なんか似てるよねえ。

とても病弱とも思えないよなあ。

川に飛び込んだりするとは。 

しかしそれは隠していたこと。

後になって色々分かる。

嘘を吐いたのは好きであったことを隠すから。

アニメらしく最期は隠すんだね。

誰も悲しませてはならないという不文律でもあるのだろう。

大体は映画前提で作られる訳だが…。



































 

 

曲が美麗なんだよね。 

そこは音楽をテーマにしたアニメならでは。 

ノイタミナではこの四月は君の嘘と、坂道のアポロン、のだめカンタービレ、と音楽をテーマにしたアニメをよく作るなあと思う。 

アルドノア・ゼロを漸く観終えて

漸く観終えた。

長い話だったような感じだ。

2クールだから話の流れは前半と後半に分かれる。

 

それ言っちゃあおしまいかな?

未知なるエネルギーを発見して科学が急激に発達するが、地球を出て行った子孫が専制君主国を打ち立てて地球人と戦争をするって話。

この黄金パターンはよくあるな。



これ、芳文社が作ってるんだね。

主題歌もKalafinaだし。

まんがタイムきららがもしもロボットアニメを作ったらというもしもシリーズなのかな? 

悪く言ってしまえば換骨奪胎。

でも、それほど気にならない。

美少女フィギュア(に限らずとも) で同じキャラクターなのにメーカーごとに別々に作って売るようなものだろうか。

よくある、この人のこういうような話が見たい、と言う感情なのだろうか。

テーマはあるが、斯くもロボットアニメだとこのようなパターンが作られる。

しかし、Kalafinaの歌う主題歌の歌詞がこの作品の全てを表しているようにも思える。

主人公がサイボーグになるのって中々ないよなあ。


 

 

 






















リスアニ!Vol.20 (M-ON! ANNEX 591号)
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しかし、最近のロボットアニメはロボットのフィギュアじゃなくて人物キャラクターまでもが売り出されるとは、世の中完全に変わったよね。

ロボットは最早代替可能な下駄履きと言う概念に。 

冴えない彼女の育てかたを観終えて

漸く、二期になる前に粗方録り溜めしていた分を観終えた。

DVDがリリースされる時に二期が決定する、らしい。

おそ松さんの映像ソフト売り上げが初回で8万本とは凄いよ。
これも含めて、アニメ業界は初回限定盤を予約制で売り切る迄カツカツの状態が続くのに。
ギリギリ二期を待つのみだろう。

ただ、この冴えカノは人気があるようで、フィギュアも売れて加藤恵等身大フィギュアも予約殺到しているらしい。

度々このブログでも上げているが、コスプレ変人ファイターの長島☆自演乙☆雄一郎(以下乙)が大晦日の挌闘技興行RIZINにて冴えない彼女の育てかたに出て来る、エリリこと澤村スペンサー英梨々の恰好で入場をした。
フジの推すアニメの一つである。

度々乙はTBSのイチオシアニメキャラの恰好で番組に出たり、スポンサーのイチオシアニメの恰好で入場もする事がある。

もしも、フジにイチオシアニメがなければどのような恰好をしていたのだろう。

話がずれるのでここではこれ迄にするが、このアニメは原作が一応富士見書房系(角川)のラノベで、ドラゴンエイジでも漫画連載をしていた。
漫画の方も読んでいたが、なんだこれはと当初感じていた。

ここまで対世間に於いて我を通すオタクっていたろうかと。

ラノベ発のオタク系のアニメはどうせMX辺りで白い光線出して一期で終わるだろうと思ったが、フジのノイタミナでアニメ放映するとは思いもよらなんだ。

だが、意外と富士見書房系(ファンタジア文庫とかドラゴンエイジとか)のアニメって二期の放送もあるのだ。

これはゾンビですか?も続いたし。(実は乙もこの作品がお気に入りらしい、と言うか富士見書房系の作品をよく観るようだ)

自主規制を掻い潜り、そういうのを出さないでアングルを多用してフェティシズムを喚起せしめるスタッフの尽力には脱帽である。

ヒロイン達の髪型にも配慮を入れているらしい。

主人公って、周りはハーレムばかりなのに、それに一切気付かないか、恋愛感情を一切持たない丸で稀有な存在である。

恋人にはならなかった。
ずっと「友達」である。

それが受けたのかも知れない。
げんしけんは結局「恋愛」に「収斂」されてしまった。
深く入り込むが、エゴイスティックな私情を挟まない所がこの関係性の永続性を保たせているのだろうか。

あと、みんな「我こそはオタクである」と主張している。
オタクだから恋愛などという下賤な感情など捨て去ったのだろう。

なんでこの作品がノイタミナ枠なのかと疑問に思うが、ヒロイン達の個性が強く前面に出ているということのようだが、この作品も多分に漏れずなのだろう。

東のエデン、四月は君の嘘、もやしもん、数えればきりがない。

一般世間への窓口がノイタミナ枠ならば、彼らが自らオタクだと言い張るのも宜成物哉。

そして、ロックへの偏見を抱いていたであろう主人公にきちんと「ダブスタ」だと釘を刺している。

果たしてこのノイタミナ枠が一般向けかどうかさえ怪しい。
だって、あの花のめんまにときめく人、どの位いたの?
めんま廃人ばっかりじゃないのか?

自分達はオタクじゃないつもりでもきっちりオタクでした、腐ってました、認めたくない自分がそれを見つめているんだろうね。

ノイタミナばかりに拘るが、あれって実写映画の宣伝番組と化しているが、骨太のアニメはそれをやらなくても十分強く、それを跳ね除けてしまう。

うさぎドロップはあんまり話題にならなかったなあ。
松山ケンイチが主人公だとどうもアレになってしまう。

サイコパスや東のエデンやあの花はアニメでも映画をやり通しててしまう。

実写への忌避感がアニメの視聴者には根強く残っているからなのだろう。

さて、この冴えカノはどうだろうか。
まさか実写映画化とかするのか?
ゲーム作りを黙々と続け、一切の恋愛感情さえない、ヒロイン育成計画の映画なんて受けるのであろうか?

と、人をそこまで育て上げるアニメのシナリオって珍しいよなあと思う。

 














第二期は決定しているようだ。

ノイタミナ作品は大体1クールで終わってしまうものが殆どだ。

偶に当初から2クールで放送するものがあるが。

一山越えたというような終わり方ではあるが、次回が楽しみだ。






































冴えない彼女の育てかた キャラクターイメージソング 澤村・スペンサー・英梨々
澤村・スぺンサー・英梨々(CV:大西沙織)
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共通良識は多数派の情緒、諸行無常、朝聞道夕死可矣、民可使由之不可使知之、倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱、井蛙が良。 新居昭乃、宮澤賢治、本田透、英霊の声、蜘蛛の糸、まどか、まほろ、Fate、みなとそふと系、MATRIX、ドラえもん、ジブリ、エヴァ、マサル、アンパンマン、北斗の拳、夜勤病棟、君の名は。美術館と格闘技が好き。
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