この前の続きではある。

在特会のヘイトスピーチに一定の支持がある。

しかし、今回の討論で離れた人達もいる。

政治家もこう言うチンピラ言論に付き合いきれないと思ったのか、フォローを外せとまで突き放す。

またある評論家は、(その討論を観て)インテリジェンス(ここでは知識人だろう)には相手にされないなと冷ややかな感想を述べた。

ヤフコメも支持できないような意見もチラホラ。


表現の自由を守ることと、その意見を支持することは違うのである。

言うな黙れは言論の自由の弾圧である。

言ってもいいがお前の意見には反対、お前の意見は支持できない、これは反対の表明即ち意見の一つだからこれも認められる。


本当は、規制ではなく「支持しない」を皆で表明すればいいのだ。

規制だと被害妄想を抱く人間が益々結束を固めるだけである。


規制も禁止とは違う。

要するに子供のいる所で騒ぐな、生活圏を脅かすな、そういうことである。

風俗店とか学校のある所近くには建てられないだろう?

パチンコとかもそうだけど、いつだったか、パチンコの出店を阻止しようとして条例改正して図書館を設置させて営業妨害させたという事で市が敗訴したケースがあった。

基本的に商売は自由なのである。

約束事を守っているのにも拘らず、それさえも気に入らないということで弾圧に走るのは法治国家としてあるまじき事である。

魔女狩りの国だ。

大体何故だかパチンコを嫌うのは右側に多い。

要するに朝鮮人が経営しているからと言うただそれだけのことだろう。

朝鮮人の経営=北朝鮮に資金提要。

これだけか?

まあ恐らくだがマルハンが在日帰化系企業だからそういうイメージが付いたのか?

でもそれでも右はマルハンを叩かない。

政府とべったりだから言わないのだろう。

この右の異常な権力べったりも弱いものいじめに加担していることも指摘せねばならない。

それが在特会やそのシンパだったりするんだが。

しかし愈々そうしたヘイトスピーチへの規制に動き出したかな?

オリンピックがあるからだろう。

在特が抱えている裁判の結果で法規制に動くのではないのか?

しかし、このオリンピックがあるからだろうというのが曲者である。

これはややもすれば「表現規制への試金石」となるからだ。

表現規制は在特のヘイトスピーチではない。

コンビニ本規制から始まる。

どっからか仕入れたのかよく分からんが、コンビニは青少年も外国人も利用するから如何わしいような本の規制を始めようとする訳である。

風紀を糺すのか、江戸時代だよね。

観光客を増やしたいから尚更必要もないゾーニングを設けてコンビニ本の弾圧を始める。

ある意味ゾーニングが徹底しているという外国の建前で以ってコンビニ本までも規制させようとする。

あの青テープは何だったんだ?

立ち読みできないようにした規制ではないのか?

あれは東京都では青少年健全育成条例に沿った指導のはずだったが?

要するに、反古にされたのだ。

カルト宗教団体辺りが文句つけたのだろう。


そういう陳列区分を徹底させるためにはどうするか、要は世論の意識を塗り替えるということに尽きる。

出す方に後ろめたさを与える、見てしまう方に出す方への憎悪を駆り立たせる。

こう言う構図を警察は良く作り出す。

暴力団追放は警察関係のポスターではよく見かけるが、流石に表現規制啓発ポスターなんて作らないだろう。

見たことない。

あからさまに作ると反撥を食らうことが判っている。

漫画全体への天下り先を作ろうとしても悉く失敗している。

全体は無理だから所謂如何わしい物に対してのいびりを始めているだけである。

こう言う場合こそ「弱い者いじめ」なのだが、権力者にべったり付くことで生き残ることが出来ると悟った連中は、片やいじめられている所に対しては鈍感を装う。

撲滅させることが恰もそれが正常であるかのように。

そして、目に余る事をして逆に表現規制を後押ししてしまうのがこうした「腐った連中」他ならないのである。

実害を出すのは駄目である。

そのデモンストレーションに意味が無い。

意味が無いのは、騒いでいるだけでその次のアクションがないしそれで終わるからである。


さてそれではエロは実害があるか。

ない。

性欲はエロが溢れていることとは無関係である。

性慾を掻き立ててしまうのなら男女ともに真っ黒なヴェールを被ればいいのである。

アフガンのブルカかアラビアのチャドルかどうかだが、肌を見せなければ良い。

女性だけ不平等だと言うのなら男にも全身を蔽うような服を着させればいいのだ。

ただそれだけ。

服装も表現の自由だもんね。

服屋を規制する訳にもいかないから着てる人に文句を言う。


実害よりも第三者の気分次第と言うオチである。

自分の目に触れたくないから描くなという意見が罷り通っている。

テレビなら別にそれは構わん。不特定多数の人間が見るし。

抗議の末に出来たのが小学生程度の頭脳でも判るクイズ番組である。

凄いよね、小学生程度のなぞなぞでも難しいと抗議するバカが居るのだから。

こう言う人達は自分を中心に地球が回っていると思っているのだろう。

コペルニクス的展開もびっくりだ。


そのガス抜きのために投書欄やBPOがあるようなものなのだが。


勿論、漫画表現の中にも支持できる内容や支持できない内容もあるだろう。

えげつない表現に溢れている物も。

だからと言って、それを滅ぼせとは違うのである。


その為に「ゾーニング」と言うものがあるのだが、これが理解されているのかどうかである。

殆どの人が珍紛漢紛で理解する気もないのだろうけど。


理解されないから、電子書籍という新たなる世界にステージを移す事が行われている。

表現規制はコンビニ本の規制が先ず、それがあるからだ。

ネット規制なんて出来ない。

電子書籍なら誰にも邪魔されないだろうに。

さて、随分元に戻ったというか、今回のテーマとは少しずれたが、今の所は表現の自由を標榜する連中の「功績」もあって新たな展開を見出すことが出来たのは皮肉だろうか。

現実は出版関連はジリ貧だからである。