はすみとしこの描いた絵が物議を醸す。

いつもの事なのだが、やはり今回もである。

FullSizeRender

スクリーンショットではあるが、相変わらずこんな感じではすみとしこはアップする。

似顔絵を描いているつもりだが中身のキャプションが如何にもである。

直接的に本人であろうとする名前を書いていないし「本人ではない」と強弁すれば済むのだろうが、やはり意図して描いているのであれば悪質である。

描いた本人が「本人でない」と否定すれば済むのだろうが、この後に付く所謂「クソリプ」がその人を指摘するのであればもう意味はない。

意図して描くのならば攻撃的に描いていると思えば良い。

斯くて、表現の自由とは人を殴る棍棒に成り果てた。
と言いつつも、元からなのであろうがそれさえも守らなければならないのが自然権である。

こういう人達は権力者に対して何も言わないのだろう。
自分達の権限を保障してくれる権力者の為に描けば表現の自由は守られるのである。

弱い者虐めが快感なのである。
彼らにとってはそれが本質。

愛国とか反権力とかではない。
相手が反撃しないでただ単にサンドバッグになってくれればそれだけで良いのである。

そして、それが一定数の支持を集めている。

「〇〇の癖に出しゃばるんじゃねえ!」

という感情がそれらを支えるのである。

支持してくれる人がいれば自分が正しいと思うのである。
たとえ卑怯卑劣な事を行なっていても。

またこれで、それではこの絵を禁じたりもすれば表現の自由に抵触したり、また「奴らがまた妨害して攻撃した」という口実を与えてしまうのである。

彼等も実は分かっている。
権力者に擦り寄ってさえいれば安泰だという事を。

最近権力者に擦り寄る人々の下品さには辟易するものばかりが目立つ。

権力は腐敗するとも言うが、あからさまに権力者に擦り寄る姿勢の人々もまた腐るのがよく分かる。

この事は、歴史に残るだろう。

そして、裁かれるのだ。

それでも反日してみたい
はすみとしこ
2017-09-15


こんな本を紹介するのも気がひけるが、また次も出すのだろう。