昨今の不倫騒動にはうんざりする。

これは個人的な感想に過ぎないが、売れるためにはある程度仕方のないことなのだろう。

成功した者達を一気に奈落の底に落とすチャンスだからでもある。

昔だったら何人お妾さんや愛人や二号さんやらリゾラバやらアッシーメッシーミツグクンやらを囲って自分達のステータスとして飾っていたことだろう。

しかし、戦後家父長制度が崩壊して家族の単位が原則夫婦の単位となった。

昔は当然だった時代から夫婦単一が当然という意識が時代を経て定着した。

お見合いから恋愛が中心となり、まあプラトニックになっていったのだろう。

となると不倫はプラトニックではなくなる。

とは言いつつも不倫は凡そ個人間同士の問題なので第三者が容喙するものではなかった。

恋愛至上主義の延長でそのイメージで売っていた人々にとってはマイナスという事で責められる話題の一つとなってしまった。

プラトニックを売りにすると言えばアイドル(職業としての)もだが、これもアイドルはうんこなんかしないイメージを別の形で引き継いだのであろうか。

ピュアさを売りにしてファンに観心を買わせたにも拘らず陰ではそんなことは露知らずで他の人とちゃっかり恋愛をしていたとなると何の為にファンは貢いでいるのかということになる。
 
それをアイドルを管理する運営は必死に隠し通したりするがマスコミはそれをすっぱ抜いて記事にする。
そうすればアイドルの動向を知りたい人々が気になって雑誌を買って読むようになる。

そういうようないたちごっこ的なやり取りが暫く続く。

しかしそれ(恋愛禁止)は原則でないとなると記事にする意味を無くし売れなくなってしまいアイドルではなく芸能人や声優などを狙い撃ちにしようとするのであった。

芸能人はアイドル以外でも成功者を引き摺り下ろしたい人々にとって恰好の材料である。
これ、恋愛スキャンダルがバレると仕事に差し支えるようになる。
ただ、それは影響力のある芸能事務所は相変わらず追えずに小さなところや大きくても影響力の薄いところにしか狙い撃ちが出来ない。

最終的に大したことのない芸人の不倫騒動しか追えなくなってネタ切れを起こし始める。

政治家の不倫騒動が騒がれるのは、結局政治家は聖人君子という旧来の徳を持つという考え方に基づくものなのだろうと感じる。

ここ最近のパターナリズム回帰が顕著になるのも新自由主義への反撥の表れではないかと思えてしまう。

不倫ネタ、恋愛スキャンダルさえ出せばある程度売れるということに味を占めた週刊誌はほぼ毎週そうしたネタを出しに来るが、必ずしもそれが成功するとは限らない。

空砲ばかりである。

読者が無反応だったり逆に読者から反撥を食らったりして食いつきが悪くなることもある。

そして、スクープが掴めずに失敗に終わることもある。

誰に向けて不倫ネタを提供するのか、趣味が何もない堕落し退屈な日常を送る人のために送るのである。

声優の恋愛話とかはそれさえに興味ない人にとっては無反応であり、アーティストの不倫騒動は寧ろ逆に大反撥を食らってしまうという失態を犯してしまう。

ネタを捕まえようと必死になってみたものの結局ネタが掴めずに終わってしまう。

そうなると虚仮にされたと思うのだろう。

ジャーナリズムよりも復讐心の為に動いてしまう。

とっくに化けの皮は剥がれているにも拘らず、それに気づいていない振りをしているのか、必死になって取り繕おうとしている。

証拠を捉えることが出来ずに遂には関係者の感想文を載せる始末となる。

もうこうした復讐心だけに駆られたジャーナリズムはもはやその体をなしておらず自死を招く結果となってしまうのである。

報道の自由や表現の自由を行使して雑誌を作ってもいい。
しかし、虚仮にされたから復讐心のみで作るのであろうか。
自由には責任を伴うとはよく言われるが、責任を果たせず復讐心で作るとなるとジャーナリズムの終わりである。

証拠も出せずに表現の自由に逃げるのなら、それは他の努力する人に失礼ではないか。

表現の自由とは責められない権利ではない。

国家は表現の自由を保障するのである。

しかし最近は国家、というよりも政府、いや政権が執拗に自由権を冒し始めようとしている。

政権を維持したいから人々の自由を縛ろうと考えるのだろう。

ただでさえ雑誌なんか売れない。
権力に阿った記事書いて権力からお金貰えば安泰である。
権力には逆らえず、反撃もしない反論も出来ない人々に向かって棍棒を振り下ろす簡単な仕事です的な事をするようになる。

政府が瞠っていない、無反応にならない、反撥を起こされない、それじゃあどんなのがネタになるか。
当然反論しない一般人が狙い撃ちにされる。

こうして弱い者虐めがお墨付きを得て常態化するプロセスを描くのである。

しかし最近は権力が泥舟と分かった途端に権力批判を始める。
泥舟から逃げ出す人が目立ち始めた。

それでも読者に慮って相変わらずの権力擁護特集を組む雑誌も健在。

原則、売るのをやめろというよりも支持しなければ売れないのである。

売れないジャンルで攻めようとしても金にならないので売れる訳がない。
そうして対象が絞られると必死になるのであろう。

段々とこのジャンルも終わりが近づいて来ているのかもしれない。