また、ブログを書く時間が過ぎてしまった。
2020年のオリンピックまでにとは言うが結局オリンピックそのものは新型コロナウイルスの蔓延で延期することとなった。
オリンピックのために会場を明け渡したコミケでさえも中止にせざるを得なくなって、結局勝負として捉えても誰も勝った者なんていなかった。
未知の?ウイルスは誰しも平等に襲いかかることが分かってしまった。
幾ら体を鍛え健康に努めようともウイルスは関係なく罹りにくる。
大人しくウイルスに罹ったまま死ぬか、これまでの活動をしたまま罹って死ぬか、どちらが人として生きるに相応しいだろうか。
ウイルスが確認されてから半年以上が経つ。
それまでに罹った人もいて中には重症化する人もいて、時にはそれで死ぬことだってある。
人間はどんなことで死ぬか分からない。
正直のところインフルエンザは毎年蔓延しておりワクチンやタミフルが出回ってもそれでも死ぬ人は後を絶たない。
本当にこの半年間はこれに翻弄された社会だなと感じる。
人々の活動を制限してウイルスの感染を物理的に抑えようとしていたのだが、結局それがなくても効果がないと言うことが分かってしまった。
なぜ、自粛を迫ったのだろう。
いっぱい罹って多くの人が死ぬからなのだろうか?
結果的に若い人に罹っても無症状で死者も然程出ないことも分かっていた。
老人でさえも無症状者は多くて流石に死者は若い人よりかは突出していても比率として死者はそんなに多くない。
治るし、恢復するし、結局大人しくしていれば「風邪」を撃退することが出来るのである。
今回のコロナウイルスには特効薬がなく今一度罹ったら不治の病みたいに扱われたが、そもそも風邪には特効薬というものがないのである。
風邪でさえも肺炎になる。
何故こうも社会が萎縮するような事態になったのだろうか?
結論は、実際に社会を動かす人々が恰も死に直結するものだと過剰に恐れて政府やマスコミを後押ししてしまったからである。
果たして、今回のことで一体何か得するものがあったのだろうか?
自粛を迫り、経済活動を抑え込んだら倒産する会社が多く出るのは当然。
既に倒産してしまった会社が続々と出始めている。
会社が倒産してしまえば自殺者も出て来てしまうというのは常である。
既に自殺してしまった人もいるようだ。
とんかつ屋の店主もそうだろうし、コロナ禍の影響で自死を選んでしまったプロレスラー、マンションから飛び降りた高校生とか、過剰反応のせいでしなくてもいい自死を選ぶ人が増えてくるだろう今後は。
まだ、それでも自粛をしろと叫ぶ人がいる。
何故?
いつまで?
ワクチンが開発されるまで?
ワクチンが開発されるまでにどのくらい待てばいいのだろうか?
一、二年も自粛をし続けるのか?
財産を持っているものなら開発されるまで待てるだろうが、それまでに日本経済が保つのだろうか?
こうなると最早、自分のためだけにしか生きてこないということが分かってしまうのである。
丸で蜘蛛の糸のカンダタ。
自分だけが生きていればいいというエゴイズムの塊。
この考え方を持つ人々のせいで多くの人が犠牲になる。
アメリカなんかもこの典型でお金持ちはさっさと隔離できて貧乏人は保険もないし基礎疾患だらけなのでコロナに罹った途端に重症化して多くの人が死んでしまっている状況となってしまったようである。
これを見る限り、新自由主義を体現しているのだなと感じる。
トランプ大統領が経済の立て直しに努める一方で、アメリカのメガ企業は簡単に労働者の馘を切り、株主達にせっせと優待をするという完全に背反するようなことをする。
公衆という観念が存在しない。
あるのはポリティカル・コレクトネスのみ。
自分のみが正しい価値観しかないというもの。
なんとか革命以前のキリスト教の世界そのものの価値観と被るが、いつまでも強者かつ支配者でいたい驕った考えなのだろう。
しかし、そんな世界第一位の感染者数と死者数を誇るアメリカでさえも経済の立て直しを考えている訳である。
日本はどうか。
政府は漸く抑圧政策の解除に踏み切り、経済の立て直しに前向きになろうとしている、にも拘らず相変わらずマスコミや支持率を維持したい自治体の長がこれ見よがしのパフォーマンスに邁進して逆戻りをしようとしている。
それだけでなく、肝腎の大衆がその抑圧政策を支持し、自粛を更に迫りついこの前まで学校の9月入学を推し進めようとしていたのである。
何を馬鹿なと思う。
子供のことではなくて、自分達特に高齢者が感染したくないからそのようなことを平然と言いのける。
子供達には卒業式もなく入学式もなく運動会もなく修学旅行もなく夏休みさえもない。
全て大人のエゴによって子供が振り回されている。
このことを、子供が大きくなって振り返りでもしたらどうなるか。
絶対に復讐されるに決まっているのだ。
子供は年寄りのために死ねと言っているようなものだ。
戦前戦中戦後と生きて来た先人達が子供や子孫のために身を粉にして来た筈なのに、その戦後に生まれた子供がこれからの日本の社会を担う子供や若者そして生まれてくる子供達のために身を削ることをしないで過去の遺産と未来の希望を食い潰そうとしているのである。
丸で万引き家族に出て来る駄目な大人達である。
そもそも万引き家族の真意を読み取れる人がどのくらいいるのだろうか。
いやしない。
それだけ戦後の空間で堕落してしまっているからである。
そして、これを書いている途中で冬のコミケの中止が決まってしまった。
混雑を防ぐ為にリストバンドの導入をし、日数を分散した筈だったが、それさえも無理だったか。
そもそも混雑を避けるとするのなら絶対にコミケなんかできっこない。
5月はエアコミケとしてネット上で開催されたが、今後はこうした形になっていくのだろう。
コミケもなくなった分、他のイベントもなくなっているので実質的にはみんな敗者。
しかし、ワクチン開発まで待つ必要もないし、律儀にびくついて守る必要もない。
コミケだけでなくゲームショウも及び腰になっているのはこれまでの世間からの心ない批判が染み込んでいるからなのだろうと思う。
宮崎勤はいなくなった訳だし、堂々としていればいいのである。
コミケは熱中症による死者を出したら一発で終わりだと思っているようだから尚更コミケで感染者が出ましたとなると世間からの批判に晒される形になるのだろう。
しかし、ソーシャルディスタンス守ろうが叩く奴は叩く。
長らく権力や世間に配慮しながら生きてきたのでスティグマが出来上がっているようにも思える。
指定感染症から外れれば問題ないのだが。