ヘイトスピーチ対策法案が反対者7名を除いて参議院を可決した。


自公民共の与野党は賛成をしている。

反対者は今や無所属となった山田太郎議員、 日本こころ党の3人、社民党の2人(3人いる内の社民党の一人は欠席)、小澤一郎の生活が第一のメロリンQの一人と合わせて7人である。

意外であろう。

リベラル左派系が反対に回っている。

この法案は法律で規定されても罰則規定がない。

違法と分かっていながらも取り締まれないのである。

右派とすれば表現の自由に抵触するから反対に回り、左派としたら罰則規定がないので取り締まれないから反対、ということだろう。

最右派とされる日本のこころはどうせ韓国もヘイトスピーチやってるじゃないかという構えだろう。

それは当然だとしても、 果たして相手と同レベルで良いのかと思ってしまう。

政治家なんだから別のやり方の表現の仕方だってあるだろうと思う。

デモ行進は表現の自由と集会結社の自由と言論の自由といった人々の自然権の一つである。

何も持たない人達の最後の拠がデモ行進である。

しかし、左派が何度も何度もデモ行進をしながら一向に効果が上がらないのに、右派のデモ行進が社会的な影響を及ぼしているのだから左派は完全に負けたと言っても良い。

反天連や共産党系の米軍基地反対運動は権力への抵抗らしいからヘイトにはならない、そうである。

左派系のデモは内輪で終わることが多く、共感されることがない。

去年の夏の国会前の狂騒は左派、即ち共産党系が仕組んだことではあったが一時期注目を集めたが年度が過ぎて学生だったものが卒業すると運動を続けることが出来なくなる。

それでも、続けようとして隠れ蓑にしながらも政治運動に加担しても悉く負けてしまっているのが現状である。

それで右派が伸びているかといえばそうではないようだ。

右派のデモも回を重ねる毎に規模が小さくなっていっているそうである。

これも失敗と挫折に端を発するからだろう。

元会長の桜井誠率いる在特会が裁判で負けたこと、そして記憶の彼方ではあろうが橋下徹元市長との対談の失敗だと感じる。

あれは外国籍の人々への憎悪ではなく、マスコミへの憎悪を開陳させただけに過ぎなかった。

お台場フジテレビデモもマスコミ批判であった。

曰く「マスコミは正しい情報を伝えていない」 

これはどの立場でも言えることだが、右派左派共に唱えるようだ。

正直、あの頃のお台場フジテレビデモの方がまだ牧歌的ではあった。

やられた方に取っては迷惑この上ないだろうけど。

その前にはフジテレビが日韓共催のワールドカップに配慮したような姿勢で報道したせいか、ネット住民が反撥して27時間企画の海岸ゴミ拾いを敢行してしまい放送時にはすっかり綺麗になってしまったという“事件”が起きていた。

この頃のネット住民は“まだ健全”である。

まだ健全だったのだ。

愛媛県がつくる会系の教科書を採択した時には愛媛のジュースを飲むオフ会などが開かれていたりと、殆ど“誰も傷つけない”ような表現活動をしていた。

何時頃からだろう、ここまで来てしまったのは。

どこまでならやってよいかという線引を自らしていたのに、それを破って、表現の自由というのを言い訳にして批判とは無関係な繁華街で罵詈雑言を号び捲くる。

個人的な感想としては、あれは言論戦だった筈なのになぜ続ける理由を表現の自由に押し込めてしまうのか。

表現の自由に引っ込めたらその言論戦はお終いである。

韓国大使館でやれと思うが、大使館は静謐を保つことが前提なので出来ない。

だからコリアタウンで喚き散らすのだろう。

当て擦りである。

デマでも表現の自由でいいのかと思う。

結局自分が満足すればそれでいいのだろう。 

前述の反天連の皇室侮辱デモや左翼劇団の皇室侮辱寸劇で満足するのと同じである。

不敬罪がないから自由なのだ。

いくら不平不満をぶちまけても自分達の立場が変わらないのだから皇室も大らかである。

しかし、罰則規定はないがヘイトスピーチは違法と決まった。

正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。

PDFは法律案とされているがこれは通るので案は消える。

法律なので国または自治体はこれを解消する努力を義務付けられる。

罰則規定はないが法律なので、民事になったら絶対に負ける。

この法案が通った背景はやはり在特会が京都朝鮮学校の件の裁判で負けたからだろう。

上記に挙げたがこれがターニングポイントとなりこの一連のデモ行進が小さくなってゆく。

国連の人種差別撤廃条約に日本は加盟している。

それだからこそ、人種差別解消に努めなければならないのだという。

なぜか、アメリカでさえも躊躇しているような条約にさえも日本は国連の名のもとに批准したりしているケースが多い。

捕鯨や女子差別、児童虐待、今はこれらを取り上げないが国内で負けた者達がこれらを掲げて言論の武器にしているようだ。

今回の法案にも出版物への取り締まりも条項に入れられているという。




提案者のみならず、与野党の狙いとは嫌いなものや気に入らないものを合法的に排除することの出来る法的拘束力を持たすということだろう。

しかし、法案を「本邦外出身者」と限定させたことが昨今の問題を如実に表したものだと思う。

ヘイトスピーチ規制はどこまで掛かるかという際限なき所まで広がる。

米軍基地反対運動だって潰される。

外資系企業デモや外資批判の出版物でさえも不当差別として排除される可能性だってある。

非対称性を論った上で限定させたのは賢い選択である。

他に問題が生じればその都度議論を重ねればいいのだ。

江戸時代みたく何でもかんでも禁止の掟なんかやる必要ない。

お上じゃなくて国民が物を考えるきっかけを作らねばならない。

それが公民であり国民である。

お上がそうしろでは江戸時代である。

残念ながら国民はそのことが理解出来ているのがそう多くはない。

だからお上任せになってしまう。

お上に逆らわなければ安泰と考えてしまうのがこの国というかこの列島住民といった所か。

それをそうさせたのは他でもなく警察であって、その国民感情を見事汲み取らせて今のガチガチの規制法案だらけにしてしまったといったところだろう。

本邦外出身者とは何のことか、これは戦中戦前だったら「外地出身者」である。

適法に住んでいるというのも特別永住者のことである。

判っているのかそれが判っていてヘイトスピーチを繰り返しているのか、どうしようもない。

朝鮮半島は長らく李氏朝鮮(李家の支配する朝鮮半島)として500年近く存在していた。

明や清に従い国としての形はなさず附庸国として収まり、苛斂誅求を極めながらも、日清戦争を期に清からの軛を解き放ち独立国『大韓帝国』として出発するのであった。

しかし、当時の大韓帝国の財政は破綻していて日本と合邦せざるを得ない状況まで陥ってしまった。

今で言うところのダイエーがイオングループに入って完全消滅するようなものだろう。

倭国(ジャスコ) が日本(イオン)と名を変えて出発するようなものだろう。

半島に住んでいた者は国籍が日本となり名実ともに日本人となる。

理由は様々であろうが日本(内地)へ渡る者が戦前にはかなり存在していた。

彼等が後の一世となる。 

そこで生まれた者達は二世となる。

兪炳彦(あきひこ)や李明博(あきひろ)はその影響で創氏改名とは関係なく日本名を名乗ったのだろう。

だが、日本が戦争に負け連合国に分割統治されるとそれまで日本人だった人々は無国籍扱いとなってしまうのであった。

そこで、便宜的に図られた籍が即ち“朝鮮籍”であった。

ここらへんがややこしく、理解出来る者が果たしているのかどうかである。 

実際、米ソが半島を統治していてもその当時の朝鮮人(日本国籍保有者たる朝鮮人)には日本国籍がまだあった。

分割統治だったし、まだ南北共々建国されていなかったのでまだ日本人だった。

それもあって日本(ここでは列島含む内地)にいた朝鮮人もまた日本人であった。

それだけでなくサンフランシスコ講和条約が発行されるまで朝鮮は日本であった。

日本政府が連合国との取り決めを認めるまで朝鮮の独立はされることがなかった。※米ソはとっくに南北朝鮮を独立させてしまった。

占領下の日本には外交権などの特権は持ち合わせていなかったので他の国の領有権とか独立とかを口に出来る訳でもなかった。

講和条約で完全に権原の放棄を認めさせ、且つ独立の承認も行うのである。

それでも嘗ての日本領だった国とまともに国交を結ぶのはそれから暫くして後であった。

所謂過去の清算とかではあるが、それは国交を結ぶことにおいてはお互いその主張を放棄することが前提であった。

慰安婦の話も過去のことは全て洗い流すことで始まったのだが…。

それからまた数十年後、慰安婦で突き上げようとしても、日韓合意のもとで行われたので今後ともそういったことで言い合うのは無しよと決まった。

政府レベルで日韓の蟠りをなくそうと努力をするのである。

理由は簡単で、日韓が啀み合っていると北東アジアの安寧が保てないとアメリカが判断するからである。

アメリカが日本と韓国の中が悪かったことは知っていたのだ。

しかし、アメリカがなぜ極東のこんな啀み合いを理解していたのだろうか?

やっぱり、ヘイトスピーチが話題になっていたからであろう。

卵が先か鶏が先か、ではないが何時の間にかあのような事態になっていたのだ。

日本の戦後と、国民の自尊心なんか戦勝国であるアメリカが理解しようとも思わなかったのに。

今迄敗戦国の犯罪民族だと刷り込ませれば日本人は二度と逆らわずに大人しくなっていただろうと、アメリカは考えていた。

しかしそうではなかった。

歴史を回顧する運動が盛んになっていた。

日本人の意識が変わったきっかけは何度も挙げている「慰安婦」である。

歴史教科書に慰安婦のことが乗ろうとしていた。

今迄自虐史観教育で書かれていた教科書に更に「強姦魔」としての日本人のイメージが刷り込まれる。

殆どデマレベルの話題が教科書に載ろうとしていたのだ。

それを改善しようと保守派が立ち上がり、教科書を自分達で作って検定を通そうではないかという運動が起こった。

これは20年前以上の話である。

一気に攻勢が逆転したが戦後体制に乗っかっていた連中は負けじとあらゆる工作を策動して小さな勝利を得ようとしてきた。

こういうシーソーゲームが20年続く。

日本の問題だったのに負けたくない人々は韓国を巻き添えにして逆転を図ろうともした。

押し合い圧し合いの最中、堪え切れずに直截デモに訴えようとする勢力も出始める。

それが昨今の問題の引き金でもある。

しかし、彼等がそこからスタートした訳ではない。

自虐史観で教育しようとしても自分達の教育とは別で元々外国人嫌いは一定数存在する。

公平性を信じる人々もいて、それが重ね合わさったりして、外国人差別に繋がるケースもある。

所謂、在特会系の起こりは韓国人がという問題ではなく、不法滞在者がゴネて居座るのを赦せないと主張し始め、時には不法滞在者への罵詈雑言、誹謗中傷まで叫び始めたりする者が出て来るのである。

ヘイトスピーチ規制は本来であるならばこうした人達を救うべきである筈なのだが、「本邦外出身者」と規定したので法律の意味を成さなくなってしまっている。

なぜ「本邦外出身者」 と規定したのだろう。

理由は「不法滞在者」を保護しようとすると政府の方針が揺らぐからである。

日本は難民を認めていない。

シリア難民を「留学生」として受け容れる。

難民を認めると、外国人が大量に入り始めるからだろう。

日本の富を狙ってくるのが多くなるからである。

テレビでも話題になったが出稼ぎでやって来てビザが切れて不法滞在となってしまった一家がいた。

本来であるならば入管が取り締まって強制送還させるのが普通であるが、その一家には日本語しか知らない子供がいた。

祖国を知らない子供に親と共に強制送還させるのは冷酷ではないかと言う運動が起こった。

それで、テレビで常にやる不法滞在者取り締まりの番組を見て感化された人達はそうした家族に向けて罵詈雑言を浴びせるのである。

テレビの影響力は計り知れない。

警察が常に自分達のレジテマシーを表すために地上波ゴールデンで警察24時系の番組をどこのテレビ局でも行っている。

こう言う番組はいろんな犯罪者を挙げる。

交通違反や路上のいざこざ、万引き、不法滞在者、麻薬取締、 そしてわいせつDVDやら中には児童ポルノソフトとされるところまで大々的に報道して犯罪者を徹底的に取り締まる、という話である。

誘拐犯とかじゃなくて映像を持っていただけである。

こうして警察権力を強めていくのだが、わざと刷り込ますことでオタクまでも犯罪者にしようと仕立てて治安維持につとめていったのだが、どれだけ無辜のオタク達が社会的に抹殺されて来たのだろう。

警察は治安維持の為に真実さえミスリードさせようとする。

麻薬も本来はそうなのだが、取り締まりのためにさも重大犯罪として仕立てる。

性虐待、児童虐待、それにかかる映像記録としての保管、誘拐、売春斡旋、本来はこれを取り締まるべきなのではあるが、世間が不気味と感じるだけでオタクたちを取り締まろうとする法律を作ろうとすること。

世間の心的不安を解消させるための取り締まりである。

属性で決め込んで人を取り締まるのは人権侵害なのではないのかと思うのだが、世間はそんなことも露にも感じていないのが恐ろしい。

それもオタクが幼女を攫うというイメージが付いてしまったためである。

ここ30年の歴史でもある。

世界的に話題になっているヘイトスピーチも難民への迫害を防ぐためなのだが、日本ではそれがあのような形となってしまった。

その対策法に反対した人達はその理由を挙げている。

合法的に住んでいるのなら抑の法律として起用させる必要もないのだ。

人権を守るということは日本でも認めているのだから。

不法滞在者を認めたくない政府の思惑が重なって本来の意味が抜け落ちて、政府の目的でもある体制の維持のためとして表現規制にまで重ねて乗り込もうとしていたのだから恐ろしい。

本邦外出身者とは元々日本人だった者達という意味である。

無国籍となるので便宜的に国籍を与えられる。

このことが理解出来なくて、理解しようともしなくて、恰も不法滞在者としてゴネて居座っていると思い込んでデモを始めたのが在特会であった。

それはデマだったのだが、ただ単に韓国や北朝鮮が憎いからその一角に適法に住んでいる人達に当て擦って攻撃を始める。

分かっていたから今では表現の自由だとしてデモを続けている。

デマであると認めたくないから表現の自由に逃げてしまう。

自分達に落ち度があると認めたくないから、最後の拠に逃げる。

これは負けると死ぬ病気に罹っている人達でもいるのだろう。

負けることを認めると、その場所にいられなくなるからだ。

自分達が作った世間が大事なのである。

反論することも自由である。

反論する表現の自由、言論の自由だってあるのだ。

規制には反対だがそれは大いにやるべきである。

そうしないと、結局蟠りをまた作ってしまう。

そうして「良い方向」へ進むと良いのだが。







ヘイト・スピーチという危害
ジェレミー・ウォルドロン
みすず書房
2015-04-11




ヘイト・スピーチの法的研究
金 尚均
法律文化社
2014-09-16












ネットと愛国 (講談社+α文庫)
安田 浩一
講談社
2015-11-20





 








あした、ネトウヨ治るかな?
Taka
さがみはら文庫
2014-04-03




出版物を挙げたが、かの対策法は出版物への規制まで謳っている。

表現の自由は固より、規制なんかしたら権力維持に手を貸すことになるのではないか。

この辺り鈍感であってはならない。