京都アニメーションの割にはリビドーを主張した感じにも思える。

まあね、千斗いすずをインスタントシコキャラと言うくらいだし。





















迷い込んだらレジャー施設でしたという千と千尋を髣髴させた物語から入るが、経営を任されて再生を果たすというそれがコンセプトだが、ある意味ご都合主義にも思えてしまった。

既存の施設を上手く使えてないただそれだけだった。

施設を探索したらそれこそお宝だらけというオチ。


マスコットキャラが別世界ではその姿をしているようで、色々と滑稽であったけど、飽きはしなかった。

最近のアニメは視聴者を悲しませることはしないので、みんな元通りになる。

このパターンはどこでもそうだ。

やっぱり悲しみのエンディングといえば、まほろまてぃっくがあるからなんだろう。

あの所為で悲しみのアニメを作れなくなってしまったと思える。

山あり谷ありとはいえ、それがイベントとして発生するけど日常の一幕なのだと思う。

これが日常系なんだろう。

京アニも日常系アニメを良く作ってたが、これを引き継いてでいるのだろうか。