2020年の東京オリンピックまでオタク文化が一掃されなきゃいいけど

タイトルの通りです。 オタク文化を権力に縋る連中から守るためにブログを書くことにしました。 微細な力ですがどうかよろしくお願いします。

奴隷として生まれて

誰が弱い者いじめをするのか Part13 敵が見えて来た

永らくこのシリーズを放置してしまった。
このブログのタイトルが「2020年の東京オリンピックまでにオタク文化が一掃されなければいいけど」なのだが本当にあと一年となってしまった。
平成も今年で終わり、新元号「令和」を迎える。
この平成30年間はオタクの闘争史でもあった。
元々オタクが生まれたのはゴジラやウルトラシリーズからだと言われ、彼等が愈々鬼籍と入る時期に差し掛かった。
厳密に言えば彼等はオタクとは呼ばれなかったが。
サブカルの一つに内包されていたのがいつの間にかオタクが分かれてしまった。
洋楽趣味(舶来趣味)も今で言えばオタクの一つなのだがそれがなぜか分かれてしまった。
いつ頃なのだろう。
結局、あさま山荘事件が分水嶺だったのだろう。
左翼は過激なことを辞め、社会に関わることをせずに引き籠るようになった。

この頃もそうだったのだろうけど、所謂気持ち悪いステロタイプのオタクが出現したのはそれから17年後の昭和から平成に掛けて行われた東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件の頃だった。

この17年間何があったのか。
宮﨑勤はこの頃まだ20代で新左翼の世代とは無関係だった。
革命の目標を失っていたというよりも初めからなくなっていた若い世代は個人の趣味に没頭するようになっていった。
世代史論は本田透の著作に詳しいので割愛するが、まだ80年代はオタクにとっても明るかった。
バブル期だったしサブカルの分野であるアニメも漫画もアイドルも音楽も活気に満ち溢れていた。
同時に校内暴力も激しくなっていたが。
革命で世の中を変えるよりも勉強して世の中を変えた方がいいと考えていたのかも知れない。
その詰め込み教育の反発から校内暴力が激化しそれを見直す形でゆとり教育が提唱された。
全ては時代の流れから生まれる歪みを正す上での必然だったのだろう。

こう俯瞰すると、何も宮﨑勤の事件とオタク闘争史なんか全く関係ないのになんでこうも30年間もずっと引き摺った儘で来たのだろう。

宮﨑勤が捕まって宮﨑勤の部屋が公開された。
その自室は大量のビデオテープが所狭しと堆く積もれており宮﨑勤の異常性を際立たせるものとして「演出」されたものだった。
丁度テレビの普及率もほぼ100%で奇しくも宮﨑勤の持っていた「ビデオテープ」を「再生させる機械」も普及し始めていたので大衆のメディア依存もこの頃高い時代でもあった。
マスコミは大量に情報をばら撒いてそれを消費者が答える形で更に要求する。
この形はサッチーミッチー騒動まで引き継がれていた(半年以上ほぼ9ヶ月続いた騒動が収まったのはハイジャック事件が起きた時だった)。
テレビが結局宮﨑勤の事件を永らく引き継がせていた訳である。
宮﨑勤の事件の「御蔭」で保守派は持説を維持することが出来たし、サブカルもモテ技術へ移行することで生き永らえることが出来た訳である。

腐女子は?

腐女子の歴史は少年ジャンプのキャプ翼よりも古いとされており、コミケ黎明期から今に至るまでその数を圧倒させている。
性別の違いはあれど事件以降、世間に上手く溶け込むことに成功して、これもステロタイプのオタクと分離することが出来た訳である。

腐女子が漫画やアイドルに没頭しても親がお金の使い方に注意するくらいで別にマッチポンプ的な社会問題化するような事態にはならなかった。
世間がやっぱりパターナリスティックで性別に甘い傾向にある。

第三世代的にはまだそれ程のスティグマはない。
自分自身がそう認めることに成功してオタクの世界を自分達で救うことが出来た。
これは偏にエヴァンゲリオンの御蔭だったのだろう。
やはり悲惨だったのは第二世代。
エヴァの前にはパソコンも普及し始めて美少女ゲームも出始めたが、彼等自身が大きなスティグマ(傷)を負っており、世間の批判を内面化してしまっていた。
既に学生ではなくなっていたが(ギリギリ大学生か専門生かである)、モテ技術に引けを取ってしまい世間と対話する機会さえも失っていた。
宮﨑勤の起こしたような類似した事件が起きる度に世間は彼等の趣味や嗜好(思考)さえも論い、批難して石を投げ続けた。
世間の悪意に従う形で各自治体では条例が敷かれたり販売規制もなされたりもしていた。
初めから「敵」を作ることで自身らが生き残る術を体得して来たのである。

世間の悪意に関してもまた本田透の著作に詳しい。

しかし、世間の悪意を払拭する機会が訪れた。
そこも本田透の著作である「電波男」に詳しいのだが「電車男」という本がベストセラーとなったことがきっかけだった。

結局あれは脱オタさせて世間のメンバーに組み込ませようとする企てだったのだが、奇しくもそれを映画化、ドラマ化することで主人公のオタクとしてのアイデンティティを守ることになってしまったのである。
ドラマや映画を作るにしてもスポンサーが必要でオタクグッズを捨て去る訳には行かないのである。

あらゆる物語が消費、相対化されて残った最後の楽園がオタクだった。
世間的には塊として小さい筈だったのに、バブルが崩壊して20年近い不況が訪れて少子化の影響で大きな消費が出来なくなってしまったからで、結局世間の方がオタクに頭を下げに来てしまったのである。

工業製品も縮小化して売り出す商品も無くなってきた政府もこれを利用しない手立てはないと考えるようになった。
スティグマを抱えていた筈なのに一転、勝者になった。

しかしそんな動向を許さない勢力がまだその頃存在していた。
10年前の話である。
宗教団体と警察とスパルタ教育などの疑似科学を信じていた保守派だった。
既に「オワコン」と化していたカルト団体や保守派が無駄な足掻きをして警察に梃入れを始めていた。
※実は疑似科学を信じるのは保守派だけでなく左翼や市民主義者も同じである。

スティグマを抱えた第二世代がオワコンカルトの未だ支配する状況に妥協をしようとして批判を内面化させ後世のオタクを文化的統一価値観の元支配しようとしていた。

間接統治に見える。

しかし、そんなことをしようとしても無駄だった。
既に第三世代や第四世代はスティグマを抱えることがなくなっていたのでスティグマ世代の空回りで終わってしまった。
実は第二世代もスティグマを抱えることはなくなっていた。
知識人にありがちだったスティグマの克服は知識を蓄えることで逆にスティグマを内包することとなっていたのだった。

誰かとは言わない。
言うが、ゲンロンマンである。

丁度東京都青少年健全育成条例の改正案が通るところだった。
結局通ってしまったのだが附帯決議でもって政府政権権力者への批判が摘発されないことを育成条例に盛り込まれた。
結局この時点で負けたのだが、成人区分の出来ないBL本がバンバン規制されるようになってしまった。
これも女性はエロであってはならないというミソジニーが世間を未だ支配しており、やはり宮﨑勤事件での別れ道となったことが起因する。
すっかりアダルト向けが男性向けのものと意味付けられてしまい、女性向け区分が作られることがなくなってしまった。
それでなくても女性向けアダルト作品が流行らないことも起因する。
商売にならないのは端的に言うと女性が独身でいる必要がないのである。
これもまた、腐女子の処世術と同じで世間に妥協(結婚)することでアダルト作品を消費することがなくなる訳である。
婚前交渉の少なさや独身率が男の方が高いのは男が世間との妥協点を見つけられなくてそのまま行くことが多い。
これもオタクを生む要因にもなったりするのだが。

残念ながらこの国は未だ男尊女卑が支配する。
女性が世間との妥協を逸早く選ぶことでミソジニーがそのまま温存される結果となってしまう。
その結果、ネットではミソジニーへの怨嗟で満ち溢れるようになってしまった。

電車男と同じ構図だ。

世間の価値はそのままで軍門に下ることで価値を温存させる役目を背負い込む。

そう言えば奥様は取り扱い注意というドラマってそう言う感じのドラマだったな。

独身でいる気魄も気概もない大衆は結局軍門に下らざるを得なくなる。

独身であっても逆に実家暮らしのケースがある。
この場合は少し特殊なので別の機会とするが。

女性が世間と妥協せざるを得ないというよりもミソジニーを抱えているから(弱さを知っているから)偏差値の高めな志望校へ行くような感じで結婚を急ぐ。
※全員が全員そうではないので注意。

BLは結婚しても楽しめるという。
腐女子から貴腐人、セレ腐などと言うような言葉があるように結婚していても腐女子を続けられる訳である。
逆に男のオタクも男尊女卑思考に囚われており、オタク趣味を結婚によって捨て去らねばならないという感覚にも囚われる。
お金がある訳ではないので子供の教育費のために余計な支出が出来なくなるから捨てさせられるのである。

男もそうして世間へと妥協せざるを得なくなるのである。

厄介なのは、過去オタクだった者やスティグマを抱えたオタクが内面化させた批判を取り出して棍棒として振るうところだ。
それもほぼ五年くらいまでの話なのである。

もう、今はそうではない。

そんなことをする必要がなくなってしまった。

逆に前述のような考え方だと孤立を深めるだけである。

敵とは、罪を内面化させた己自身である。
時代の流れで一見見えていた敵が引っ込んだだけである。
諸行無常である。

奴隷として生まれて その六『宮崎勤のドラマ放映で30年掛かって漸く解き放たれる足枷』

10月7日、フジテレビ系列で宮崎勤の特集を組んだドラマが放映された。

宮崎勤の役を坂本真が演じていたがあんなに太っていたっけ?と思うくらい役作りに徹していたと思う。

秋元才加はリポーター役をしていたが、実際には存在せずに当時のリポーターは男だったのを何故だか女体化する形になった。
随分と役が上手くなったと思う。

金子ノブアキは唾汁ブシャーだったが、大分作品としては大きな進歩を遂げたと思う。

何故今、と思うがやっぱり今なのだと思う。

30年は、世代がガラリと変化する。

そうでもしないとまともな検証が出来ないからなのだろう。

ただ偏見を押し込めて弱い物虐めをしておけば庶民が権力への監視から目を背けさせることが出来たからである。

30年間もよく押し込めたと思う。

やはり、当時を支配していた層が第一線を退いたからだろうと考えられる。

当時の支配していた層がしばき全盛でスパルタ教育を推進させオタクたちを根暗の上に犯罪者まで塗り固めたことで長らく権力の維持を図っていたのがよく判る。

ドラマは、所謂偏見に基づいたもので構成されているものではなかった。

宮崎勤はただの人間と結論づけていた。

ここまで来るのに、一体どれほどの年月を要していたことか。

オタクが犯罪を起こした、精神異常だから起こした、そう言うレッテル貼りはそのドラマにはもはやなかった。

大衆が棍棒振り回して権力の安泰を下支えする時代が終わった。

大衆が、公民となって物事をまともに判断する時代に入った。

そしてその瞞しを最後の政府が再び行おうとしている。

最後の政府が去年の都知事選で意地を見せた。

国を支配しようとした権力機構の残影が東京から支配しようと画策していた。

皮肉にも権力闘争に敗れた者が権力機構の残影を相手にして勝ってしまった。

権力機構の残影は東京支配から一時期ではあるが退却した。 

これは大きかった。

警察機構さえも持っていた権力機構の残影がこの闘いにおいて負けたのである。

権力闘争に敗れた者が、力を得るために各方面から掻き集めようとしたのだがその一つに、今まで権力機構の残影に虐げられた人々がその年の参議院選挙で多く投票したことによって、可視化されて今まで強権的な右派だった者が軟化したのである。

これも大きかった。

主義主張は結局のところ権力を得るためにはかなぐり捨てるものだなと実感する。

今の都知事がファシストだとかはどうでもいい。

敵はそれではない。

権力機構の残影が相手である。

さて、この今まで書いてきた『権力機構の残影』とは何なのか、 改めて説明するまでもないのだが政権に寄生して国民を支配しようとする幻の勢力のことである。

具体的には、はっきり言って寄せ集めなのではあるが所謂『保守派』に属して戦前回帰というよりも明治や江戸時代やら将又神話や伝承に沿わして日本を作り変えようとするアナクロニズムの勢力のことである。

権力に寄生する宗教団体、警察機構、経済団体、新自由主義の靴を舐めた株主ら、政治団体、教育者やスポーツ関係者などの文教族、芸能界、言論人、はっきり言えば全然保守ではないのだが政権を守ることが保守と呼ばれるようになってしまった。

年代的には戦中戦後に生まれた人で戦前戦中の具体的な実感を持たずに幻影を追っかけている人である。無論、兵隊にも行ったことのない人達である。

もう彼らにもその力は無くなってしまった。 

筆頭格だったとされる石原慎太郎が耄碌を晒してしまった。

石原が可哀想だったという向きがあるが、その後の発言などを見るとやはり庇いきれない。

老人が増えすぎてしまった。

自分達が年老いていることさえも自覚できていない。

枝野幸男が上下の分断とも言っていたが正にそれでもあると感じる。

アナクロニズムの権力機構の残影が年老いて影響力を失いつつあるのがよく判る。

東京オリンピックがその最後の打ち上げ花火なのだろうと思う。

保守と言いながらも汎ゆるものを破壊し尽くしてきたなと思う。

東京オリンピックが終われば全てが終わり、そしてこれからが始まる。

大阪万博をもう一度とも言うが、その時日本の国力なんてあるのだろうか?

若い命を喰らい尽くして来た老人も生きているのだろうか。

もりかけ問題で浮き彫りになった新自由主義と保守派の誤魔化しも破綻を来してきたようにも思える。

もう騙されない。

権力機構の残影が国民を支配する時代が終わったのである。


ネットには神様がいる
山田太郎
日経BP社
2016-11-17





 

奴隷として生まれて その五『不可触賤民を殴り殺す棍棒』

共謀罪が衆議院を通った。

共謀罪という名前ではなくテロ等準備罪という名前に変わって法案が通過した。

後は参議院となるがこれも時間の問題であろう。

テロ「等」 と「等」が付いている時点で恣意的な運用がなされるのは必至である。

テロに限定とは言うが、それならばテロと組織犯罪にすれば良いのだが、「等」 に拘る辺り運用者の思惑が透けて見える。 

果てしなく疑問が生じる。

何故そこまで自己決定権を捨ててお上に全てを附託しようとするのか。

普段の仕事や生活に逐われて他の事まで手が回らないからなのだろうか。

政治とは自分一人だけでは解決できないことを附託させるシステムの一つでもあるから陳情を出したり、投票行動に出るのは何も間違ってはいない。

治安維持とて言うまでもない。

解決不可能なことを権力者に委ねることは間違ってはいない。

通信傍受法や破防法や暴排条例は要望がなされたものである。

(この暴排条例とて人権侵害の憲法違反なのにそのことに気づかない人々がいるのだから恐ろしい事この上ない。このことに関しては後述する。) 

共謀罪は過去何度も廃案となった。

過去何度もと言うことから何度も執念深く出して来たということ他ならない。

必ず通してやるぞという執念に満ち満ちている。

一体誰が出すのか。

答えは警察である。

本来は内閣が出して来たのだが、警察が権限を拡大するために世論の意識を捻じ曲げ、着実に自分達の思惑を浸透させてゆく。

広報というかPR、テレビを使って治安維持の素晴らしさを説く。

しかし、その中にどのような意図が込められているかを庶民は知らずに。

何度も出す辺り強権的な政権が出ることを待ち望んで各種法案や条例を通してきたようにも感じられる。

何度も何度も。

何十年掛かっても自分達の権限の拡大を狙っているようだ。

戦前において内務省の権限が強大だったが、戦後は解体されて警察の組織力が弱ったこともあって不良外国人(ヤンキーも含む)が大手を振って専横を極めていたこともあった。

そのこともあって日本のヤクザの走りが自警団を組んで治安維持を任されていたこともあった。

ヤクザはその間に力をつけ勢力を全国的に拡大させることに成功していた。

国家も住民もヤクザを利用してヤクザの横暴を見て見ぬ振りをして来たのである。

強大となったヤクザはアメリカにも勢力を拡大して来て遂にはアメリカから「日本のヤクザをなんとかしろ」と言われるようになる。

共謀罪に組織犯罪の項目(つまりヤクザのこと)が入っているのはその為である。

なんとかしろというのは、潰せということである。

しかしヤクザは潰せない。

各種法規制を制定してヤクザを抑えこもうとしてもヤクザは潰せない。

憲法が集会結社の自由を認めているからである。

憲法の意義は、法の下の平等である。

本来ならば、条例や法律で属性を規定して動きを抑えるのは憲法違反なのである。

条例はその管轄する自治体にのみ効力を発揮するので日本国全体には及ばないという考え方なのであろう。

共謀罪は組織が関わってくるので当然法律の運用者にさえ適用されるはずなのに政治家や公務員には適用除外となっている。

この法律自体が憲法違反である。

政治家や公務員は初めから悪巧みをしないと言う設定なのだろう。

これでは根本的な意味が変わってしまう。

これに賛成を示す庶民が法の下の平等の意味を分かっていないのだから只管呆れるばかりか、恐ろしさを感じる。

明治時代に法治国家を目指した意義が消え失せて江戸時代に逆戻りしてしまいそうである。

抑々庶民自体が法の下の平等を臨んでいないようにも感じられる。

いじめが蔓延り、それが無くなる気配が一向にないのは庶民が虐めを容認しているからである。

ヤクザもそうした共同体から除外された人々が集って出来たものの一つであると言って良い。

共同体の暴力で追い出された人々が逆に暴力で共同体に暴力を振るうのは皮肉である。


頻りに一般人は除外と言うが、一般人とは何なのか。

罪を犯さない人が一般人とでも言うのか。

抑々共謀罪は「共同謀議で組織犯罪を起こしそうな人達を捕える」事に因むのではないのか。

GHQが日本政府に対して共同謀議で戦争を仕掛けたという罪状を捏ち上げて東京裁判を起こしたのだ。

戦争自体が罪に問えないのでそうした罪状で裁くしかなかったのだろう。

でもこれも、戦争自体を罪として日本政府や日本国全体を罪人に仕立てることで歴史を糊塗させようと狙ったのではないのかと思える。

「それが常識」 という風に刷り込ませて検証を不可能にさせるのである。

お上が善という意識も江戸時代からの由来であろう。

結局明治政府も江戸時代に乗っかってしまったが努力したことも垣間見られる。

人治主義の江戸時代(三権が分立してなかったとは言っても前近代の法律である掟や法度があった)から法治主義に移行した時の明治時代について行けなかった人が結構多かった。

それは時代を経ないと解消されなかった。

それを経て国会が出来て議会も議論もなされるようになっていった。

とは言いつつも、幕末外国が攻めて来てから人々は議論をするようになっていったし、古代からも議論をすることはあったのだ。

議論をしないというのは議論が出来ない、話が通じないということである。

昔、バベルの塔を建設した時に人々の言葉が突如通じなくなって落雷によって塔が崩壊したという神話があったが、恐らく神の所業と言うよりも議論が出来なくなってしまったのではないのかと思われる。

言葉が一つというのは建設の設計まではみんなOKだったに違いない。

建設途中で意見が割れ始めた。

この事はよくある。

材料や規格、予算や工程や進捗状況、政権の交代等で揉め始めたのだろう。

独裁国家で巨大なハコモノがよく見られるのは強大な権力者の一声で完成されたと考えられる。

仮令どんな無理であったとしても押し通すための力倆が問われるのだ。

ピラミッドが砂地という幸福もあったろうが各地に残っていたりするのも強権独裁だったろうと考えられる。

無理強いとかではなく大きな目標があったから完成する。

タージ・マハルは一つではなくもう一つ王様自身の霊廟が作られる予定であった。

それがないのはその後の権力基盤が無くなったからだと考えられる。

お金のこともあるし。


このことから実は共謀罪とはハコモノを作る際の反対意見を潰すために作られた法案なのではないかと思われる。

外国からの要請やテロとかは関係ない。

法律とは飽くまでも国内のものなのである。

外国、国際間だったら条約や議定書であろう。

しかし日本国憲法は憲法という最高法規よりも条約を遵守するということまで書いてあるのだから我が国は戦後一貫して連合国の奴隷状態であると見て良い。

本当は憲法を変えねばならぬのだが、その条約の部分も変えねば縦令憲法を変えた所で全く意味が無い。


ハコモノを作らせるのは公共事業である。

公共事業は政府の善い行いという前提に立つのでそれに反対する人々は必然的に悪となる。

環境権がないが生存権はあるので反対して自分達の生活環境を守る行為は当然である。

ここで日本国憲法と衝突するのだろう。

全て公共事業を行いたい政府にとっては本当は個人の権利を尊重する憲法なんて要らないのだろう。

憲法が邪魔だから自分達で奴隷を遵わせる憲法草案を作ろうと考えているのだろう。

こうなると国民の概念が無くなってしまう。

生まれた時から政治家を出来る環境にいる者がほぼ永続的に政治の立場に置かれるのである。

反対者を潰すことは野党の存在を許さないということである。

身分や階層が出来れば政権は安定するだろう。

人々が、それを望んでしまっているように感じられる。

新自由主義の実験がここ20年近く行われれた。

その間でズタボロにされた人々が望んだのは政府による保護。

しかし、その保護がまた前近代的なパターナリズムに因っている。

政権の安定は生贄を作ることにある。

前近代や古代はそうして政権を安定させてきた。

縦令政策や経済状況がガタガタで不備だらけで特定層に対して贔屓塗れであっても生贄さえ作れば政権を安定させることが出来るのである。

安倍政権がそれに当て嵌まるかも知れないが精々数年が限度であろう。

その後なのである。

ポスト安倍というものが存在しない。

反対者や技巧者を潰してきたからである。

まともな政治集団が存在していない。

安倍以降ではまともな政治を行えるかどうか不明である。

今の政治家に碌なのが揃っていないのがよく判るのだが、小選挙区制の弊害とも言われる。

金権政治とも言われて小選挙区制を選んできたのも国民であり、そして新自由主義を選んだのも国民であり、共謀罪を選んでしまったのも国民である。

国民が政治を監視することを放棄してしまったがために政権の横暴をみすみす見逃してしまっている。


強力な保護とはいってもそれは政権に従う人々のことを指す。

それ以外は適応除外。

自分達の稼ぎがないのは自己責任であるという理論が相変わらず横たわっている。

それならば自己責任を背負わされた者達はどうするか、クレームで意義申立することも自己責任の一環だと思うようになり世の中が不毛なクレーム社会となる。

そこから物事に関しても知らなかったことが自分のせいではないという理論も出来始めてしまった。

本当は無知であることも自己責任のはずだったがそうではなくなった。

知らないことは自分の与り知らないことなので開き直りも見せ始めるようになった。


ここ最近の社会はそうした自ら刺々した鎧を身に纏うようになった。

相手を責めれば自分が責められない。

足を引っ張ることで自分が揺るぎ無い所にいられる。


いつ自分が下層へ転落するかわからないから勝ち馬に乗りたがっているようにも見受けられる。

理論はとっくに放棄して自分達の立場を確保するために相手を攻撃するようにも思える。

相手の不備を見つけたらとことん責め立てる。


共謀罪も自分達の地位を安定たらしめるための法律なのかもしれない。

治安維持法が密告で支持されたように共謀罪も密告や通告で支えられてゆくのだろう。

少し前、入管法が少し変わった事で「在日が強制送還される」 というデマを信じて法務局に一斉に通報してサーバーをダウンさせたことがあったが、こう言う社会が到来するのだ。

デマだと分かっていても自分の思い込みや無知に由来することさえもかなぐり捨てて開き直りをして、自分が信じていたものが正しかったのだという謎理論を展開し始めたのである。

ポスト真実(ポストトゥルース)が形成される。

色々あるだろう。

学芸員は癌という発言もポスト真実に沿った言い方だからあのような言葉も出て来るのだし、亀田企画がボクシングを盛り上げるといったのもこれはマスコミの当初からの思惑が優先されたのもので、実際にはマスコミというかテレビ局が生き残りを賭けた企画の一つに過ぎなかった。

亀田企画は寧ろオルタナ事実(オルタナティブファクト)に近いかもしれない。

あれは方便でありフェイクニュースだ。

実際にはボクシングの盛り上がり方に何ら影響はないのである。

飽くまでも亀田興毅というキャラに注目が寄っただけである。

ボクシングそのものには何も影響はない。

ボクシングルールで行った訳ではない。 


人々は自分が考えていることと実際になされることに思惑との齟齬が生じ始めると正当化して自分の中で軌道修正を図ろうとする。

ボクシング村田諒太が負けることで自分という存在を見失うのが怖いと言っていた。

これは蓋し名言であると思う。

自分が壊れる。

壊れた自分を直視したくないからいつまでも自分を誤魔化し続け生き残りを図ろうとする。

勝ち馬に乗り続けることで敗北する自分を直視することはしなくて良いだろう。

未だに保守派がイラク戦争が間違いだったということを認めない。


憎き敵に足を掬われたくはないだろう。

揚げ足取りし合ってマウンティングパンチし合ってアウトボクシングし合う言論状況。


共謀罪も対象が紛れも無く一般人であるのにそのことに関しては誰も見向きもしようとはしない。

誰が悪人、犯罪者と決めるのか。

警察当局である。

組織犯罪は誰が行うのか。

ヤクザやテロリストなのか。

警察が100%検挙できないのは分かりきったこと。

現実にヤクザは蔓延っている。

謙虚実績を水増しするためにせせこましい点数稼ぎするに決まっている。

山口組が四分五裂しているが何故なくならないのか。

本気でヤクザを撲滅しようと思っているのか。

ヤクザを撲滅するために憲法改正でもするのか。

憲法改正する際に集会結社の自由に制限をかけるのか。

そんな社会を誰が望む?

公の秩序を乱さない、公共、すぐ政府にすり替わる。


共謀罪に公務員や政治家が除外されているのも政府が善政を布くという前提に立っているからであることは前述した。


自分達は対象外と思っているからこそ自分が嫌い、自分達が憎い相手を犯罪者に捏ち上げて通告する社会にさせるのだろうか。

そうして不信社会を形成してゆく。

虐めがなくならないのも社会が虐めを容認しているからである。 



 

奴隷として生まれて その四『トロフィーを掲げる事の意味』

山田太郎前参議院議員の得票数は300,000票だった。

意外と少ない。

オタク票は実際にはそのくらいしかなかった。

可視化されたことで日本のオタクが、高校生含めて300,000人しかいなかった。

オリンピックを契機として規制という名の弾圧がパラリンピックが終わる頃には始まるだろう。

既に、AVに対する規制弾圧が始まっている。

世論形成がもう始まっている。

権力者が世論を作らせる時に、初めに何をするか見ておく必要がある。

オリンピック招致反対者が6割を超えた筈だったのに、権力者が行ったことは無理矢理までのオリンピックパレードだった。

マスコミは監視することを怠り、ただ権力者の言いなりとなってしまった。

反対者を黙らせた訳だ。

お金がかかることが反対の理由だった。

反対を押し切って競技場にお金をかけさせたがそれが明るみとなって都民国民は反対の大合唱を行った。

諦めきれなかったのかなんとかしてお金掛けさせようとはしたが、それが限界となったようだ。

結局、小池百合子が都知事となってオリンピックのお金のあり方を問うようになった。

さてどうなることやら。

少なくとも、都議会や都議連の有力者はこの敗北の責任を取って幹部職を辞めることとなった。

影響力を排除したことでオリンピックによる弾圧の締め付けが少し緩まっただろうか。

それはまだ分からない。

小池自身がそれにひっくり返る可能性が高い。

スキャンダルで辞めさせられる蓋然性も捨て切れない。

権力者は勝利しか許されない。

負けは赦されないのである。

オリンピックで儲けたい権力者はこの残り四年間でどのように工作していくか考えていることだろう。

正に、権力者にとってのトロフィーとは『オリンピックで儲けること』他ならない。

あらゆる雑音を排除して成功させたい。

一円でも良いから自分のところに回収させたい。

ただ、今回の意味で使うトロフィーとは、権力者の他に敗北者が勝利した時に用いるトロフィーについても考えてみる。


オタクのトロフィーという考え方。
  • シンゴジラの評価。
  • ポケモンGOの人気。

一部女性のトロフィー。
  • 元極楽とんぼの山本圭壱の復帰の阻止。
  • ツイートで表れた #男女逆転した日本社会 というお祭り。 

一部保守界隈でのトロフィー。
  • 安倍政権は盤石という考え方。
  • 女性宮家を潰して男系イデオロギーを邁進。

これは旧日本軍がずっと勝ち続けているという盲信に囚えられているような考え方なのだろう。


絶対弱者が負け続けた果てに手にした最後の拠とすべく勝ちの象徴、それがトロフィー。

負ければ負けるほど、それは一層と光り輝くトロフィー。


彼等がその立場にしかいられない以上、掲げるべき勝利の証がほしいのである。

負けを認めたくないからトロフィーを掲げるのである。


同情する面もあるが何とも哀れである。









 

奴隷として生まれて その三『考える事を辞めた人々』

七月十日の参議院選挙で山田太郎参議院議員が負けた。


新党改革の推薦を受け、全国区から立候補して29万票を得たが、元々弱小政党故に全体的な得票とならずに議席獲得には至らなかった。 

新党改革の荒井広幸代表よりも得票を得たが、現職政治家が落選したことにより消滅する形となってしまった。

荒井広幸は政界を引退することを決め、党も解党することとなった。

落選してしまった山田太郎はどこへ行くのだろう。

本来はみんなの党から出ていたのだが、党首だった渡邉喜美が安倍政権にすり寄り始めてから党としての運営が難しくなってしまい解党することに至ってしまった。

山田太郎は少しの間無所属でいたが残ったみんなの党の元メンバーらで日本を元気にする会を作ったが、所属議員が離党してしまったので政党要件を満たすことが出来なくなってしまい、山田太郎は苦境に立たされることになった。

個人的に会所属の間に表現の自由を守る党を設立はしたが、やっぱり政党要件を満たしていないので既存の政党を探すことになるのだが…。

始めに見つけたのがおおさか維新の会(お維新)だったが選挙区から出ることを条件とされたので、山田太郎は僅か二日間の間だけ所属した形で離島をすることに。

お維新から出れば良かったという声を聞くが、選挙区では組織票が蠢く訳でそこから席を勝ち取るのは至難の技であるのは言うまでもなかった。

お維新に組織票なんてあるわけ無い。

改革を何となく望んでいたような大阪の人が基盤くらいしか無い。

同時に、お維新から田中康夫も選挙戦に臨んでいたが、民進党の小川敏夫の次点で負けてしまった。

知名度や組織票だからどうってなることはない。

勝った小川敏夫でさえも当落ギリギリのラインで漸く当選したのである。

組織票のおかげであろうとも思われるが、組織票がネックになっているということもあるかも知れない。

組織票は頭打ちである。

どこの政党も無党派層を狙っているのは言うまでもない。

今回の都知事選もどこもポピュリズムで無党派層を狙ったような候補者しかいない。

さて、山田太郎が選挙区から出馬していたらどうなっていたか、負けていただろう。

今回、全国比例で出ることに因って所謂オタク層の票が初めて可視化されたのだ。

30万前後である。

誤差はあるが、オタクの基礎票といった所だろう。

これをどう見るか、現実的には後三年迄持つかどうかである。

浮動票なので三年の間に減らす可能性がある。

その為にも、更に拡充させねばならない。 

浮動票とは『無党派層』のことである。

はっきり言ってしまえば白票(棄権票)と言うのはこちら側につくことはない。

此方側、という言い方は変だが現状維持派詰まり体制維持派がマイノリティに就くことはないのだ。

その時の政権や権力者に靡く層なので理解を示すと言っても徒労に終わるだけである。

浮動票、無党派層を抱き込むには自分たちの要望、願いを聞き届けてくれる層を微細ながらも汲み取る必要がある。

即ち、絶対に這い上がって来れない権力者のお目溢しだけで生き永らえさせられている人々を「救い出す」必要がある。

名言はしていないが、絶対悪とされる人々である。

AV関係者の票を得るしか無い。

しかし、これは両刃の剣である。

と言うか、逆刃刀である。

自分が振り翳したら自分が切れてしまう剣である。

ポルノが悪徳とされ、ポルノが絶対悪とされている現状を変えない限り、徒労に終わってしまう。

先ずはポルノをどうにかせねばならないと言う話になる。

だが、それが出来ればもう苦労はしない。

それが出来てしまえば抑々そんな運動なんか意味が無い。

しかし、その方向とは真逆に動いてしまっている。

今、AVは悪徳のイメージが再び付いて回ってしまった。

警察にとっては現状維持で天下り先を確保出来ればいいとしか考えていない。

熟く、権力機構というのは恐ろしいものである。

体制維持、國體の護持が達成されればいいのである。

日本国憲法の話ではない、400年の間築いて来た権力体制そのものである。

左翼的な言い方をすると、庶民が絶対的に辿り着けない憎むべき権力機構であろうか。

庶民は永遠に庶民である。

なぜ、永遠に庶民のままであるか、庶民でなくなったら権力体制が崩れるからである。

良い事として捉えるならば、無秩序から秩序を確立したことである。

法体系を細分化して雁字搦めにした方が逆らう庶民を封じ込める事が出来るからである。

重税を施して財産を確立させなければ自分達に逆らう勢力を抑える事も出来る。


はっきり言ってしまえば、何故ポルノが悪徳なのかと言う問いに答えるならば、ポルノ、引いては売春が世界最古の職業であると言われるように第一次第二次産業の生産業に寄らないサービスで利益を得るからである。

そう言えば、長らく流通が悪徳とされていた時代があった。

流通と言っても、サービス業のことである。

金貸しも悪徳。

それが、産業革命を経るまで悪徳だった。

それが何故、悪徳ではなくなったか、小室直樹の本に書いてあったか。

お金は言うまでもなく生産品の対価を温存するためのものである。

お金を資産に換え、貯蓄し、更なる生産性へ投資する形を取ればそれが溟濛たる世の中から救い出せると感じ取った人々が、暗き権力構造から脱出出来た話でもあったのだ。

印刷技術の発達が教会権力から智慧を取り戻す事を得たように、 産業構造の変革が偏見を持たれていた職業の呪縛を解き放つ事が出来た。

さて、この事でポルノが前近代からの呪縛から解き放たれる時が来るのだろうか、と考える。

技術の亢進が前時代の王を駆逐させる。

しかしそれは命懸けの行いになるのだろう。

ネットの発達がポルノを独占している権力機構を突き崩す。

権力者達は独占状態を崩されたくないために、外国の回避地に迄口を挟もうとしている。

それさえも、見ることさえも、知る権利さえも封じるためにネットが悪徳だと触れ回る。

どんなやり方で以っても。

残念ながら、大多数の人達は悪徳を覗き見る悪徳と言う感覚に縛られている。

日常に忙殺されて他に目が向けられない状況になっているようだ。

それも益々。

自分達では考えずに、権力者に道徳を教え乞うている。

個の確立は失われているのだろうか。

いつの間にか規制されている。

いつの間にか販路が制限されている。

いつの間にか悪徳とされてしまっている。

外国がそうだからという勘違いをわざと受け入れて間違った解釈が伝わってしまっている。

お上が触れ回っているから疑いもせずに唯々諾々と遵ってしまう。

ただ、ここ最近は自分達でものを考えて行動をするようになってきたと感じる。

知は積み重ねることが出来る。

それが「識」である。

人類全体の宝物、それが「知識」である。





 
共通良識は多数派の情緒、諸行無常、朝聞道夕死可矣、民可使由之不可使知之、倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱、井蛙が良。 新居昭乃、宮澤賢治、本田透、英霊の声、蜘蛛の糸、まどか、まほろ、Fate、みなとそふと系、MATRIX、ドラえもん、ジブリ、エヴァ、マサル、アンパンマン、北斗の拳、夜勤病棟、君の名は。美術館と格闘技が好き。
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