よく国際イベントを招致する際に地元の猥雑な文化を滅ぼしていくという定番が行われて来たのだが、それは恐らく東京でも行われるだろうと予想はされていた。
実際、東京都青少年健全育成条例の改正議論もそうしたことに因むものだった。
東京に残存する猥雑な文化を滅ぼして東京にオリンピックを誘致しようと言う、パターナリスト達の思惑があった。
石原慎太郎がそうした旗振り役を演じ、周りもそれに同調して色々なことを進めて来た。
国内世論を巻き込んで都議会だけでも議論に議論を重ねた結果、負けてしまったのだがその後に山田太郎が参議院選挙に立候補しては票が届かず負けてしまうのだが案外票数を獲得したこともあって与党側が表現規制を施すことすらやらなくなってしまった。
ここまでは良かった。
しかし、コロナ禍によって人々の活動が今正に抑制されるようになってしまった。
形を潜めたと思われていたパターナリストが再び蠢き出した。
恐怖に怯えた世論が自由を手放して鎖を繋げて欲しいと叫び始めた。
大きなイベントも止めろの大合唱。
夏のコミケがオリンピックの影響で5月に繰り上げようとしたところこれも世論を恐れて断念。
コミケは世論の動向を一番よく知っているからこそなかなか開催に踏み込めないでいた。
凡ゆるイベントも中止や延期となってしまった。
感染対策を講じても世論が暴走して断念する例は多分に漏れず。
オリンピックも世論の前に敗北して無観客という選択肢を選んでしまった。
実は、オリンピックの動向こそが日本の凡ゆるイベントのみならず日常を取り戻すチャンスだったのである。
感染対策というものが全く意味をなさなくなってしまった。
本当は世論を気にし過ぎて中止という選択肢を取るところだったのだろう。
都議選では過半数取れなくて敗北という形を取ったようだが、結果的に都民ファーストの要求を飲んでしまった。
オリンピックやコロナが最早政局として利用されるのだが、世論はそれに気付いていないようである。
与党も与党で秋の衆議院選挙を気にしてしまい観客動員を捨て去ってしまった。
医者側とすれば「民をして」の誤用の方を好むのだろうが、殆ど力技でこの一年半以上やって来た。
だがこの7月のみならず8月9月も同じことが行われるのは確実となってしまうのである。
秋の衆議院選挙のために凡ゆることが犠牲になるのである。
野党も本来なら自由を尊重すべきなのだが政局のためにそれすらも捨て去ってしまった。
10月まで続く。
セカイは終わりを見せなかった。
正反合にはならなかった。
小池百合子都知事が以前アウフヘーベンを用いていたがそのアウフヘーベンすらならなかった。
人は愚かで進歩すらなく、命の期限が迫ることを感じつつ毎日恐怖を感じながら生きる実感を得ている。
ワクチン接種がどこまで進めばいいのかという説明をマスコミはしない。
政府すらその指針を示さない。
愚か者達は100%しかないと思っているからである。
マスコミがPCR全国民検査を主張し始めたから国民はそれに従ってしまった。
PCRがワクチンに取って代わられてしまっただけである。
ワクチンの全国民浸透なんて現実的には有り得ないのだが、マスコミはワクチン接種で自分達のしでかしたことを収めようとしているのである。
だからワクチン接種の目標がない。
マスコミが責められるのを躱すためだからだ。
ワクチンによる副反応が出ていることは明らかになっている。
それもあってワクチンを打たない人も出て来る。
当たり前である。
ワクチンの接種目標が100%なら永遠に達成することはない。
いずれマスコミはこうしたことも責められるだろう。
日本を壊したことの落とし前はつけなければならない。
オリンピックの中止は免れたが結局無観客という着地点に着いたので、実質敗北に等しい。
感染対策を講じた大規模イベントも世論の恐怖と暴走を前に中止を余儀なくされてしまっている。
このことは今後も続く。
9月にはゲームショウもある筈だがこれも中止に追い込まれるだろう。
衆議院選挙の前に全てが犠牲になるのだ。
そして今年も潰れる。
変異株が出現してワクチンが効かないと言い始めてまた繰り返す。
医師会の脅しで5類にすら変更出来ずに永遠に風邪に怯え続けるのである。
永遠とは言い過ぎだろうが、これから団塊の世代が後期高齢者になるに連れこうした世論もまた強くなるのである。
自民党としては結党以来の党是である憲法改正が目標にあるのでどうしても選挙に勝たねばならないのだろう。
憲法改正までの素地は出来ているので後は憲法議論に入る筈である。
4つの項目とは言うがこんな状況では4つすら儘ならなくて結局「自衛隊」をどうするかという議論で終わるだろう。
憲法9条の2項をどうするか。
9条自体は残るであろうが自衛隊が書き加えられて憲法9条そのものの意味合いは残るのだろう。
何せコロナで臆病さを見せつけたのだから武器は保持するが交戦権を削除するようなところまでは行かないだろう。
段々と見えて来た。
この憲法改正するまでにどのくらいの犠牲を強いるのか。
国内で凡ゆる犠牲を作っておきながら憲法改正まで粘るつもりなのである。
国民や臆病者の世論はそのことまで見えているのだろうか?
まさか知らぬ間に自分達がそのレールに乗っかっているということに気付いているのだろうか?
個人的に憲法改正は吝かではない。
以前あった自民党憲法改正草案は糞そのものだったが、自衛隊明記するところまでは評価したい。
憲法改正した暁には、国会議員全員辞めるべきであろう。
国民に犠牲を強いた責務を背負って、と思ったがこれは解散総選挙になってしまうだろう。
憲法改正したのなら自民党としての目標は果たせたので自民党は存在する必要もなくなる。
全てを終わらせて、零から始めるのである。