2020年の東京オリンピックまでオタク文化が一掃されなきゃいいけど

タイトルの通りです。 オタク文化を権力に縋る連中から守るためにブログを書くことにしました。 微細な力ですがどうかよろしくお願いします。

セカイの終わり

セカイの終わりその2 天気の子が意味するもの

遅くなってしまったが天気の子について完全にレビューしようかと思う。

とは言いつつも、既にやって来たことだとは思うが、新年に地上波初放送だったのでそれに合わせていくつか簡単に感想を考えてみる。

ゼロ年代のセカイ系が流行った背景は改めて言うまでもないがエヴァンゲリオンが纏められずに投げっぱなしとなってしまったことに因る。

それ以来、数多のオタク系作品はそうした所謂「セカイ系」を題材としたテーマを掲げて闇夜を迷うオタク達に燈を与え照らして来た。

と、まあこんな風に時代背景を言ってしまえばこんな感じだろう。
オタクじゃなければこんな世界観なんてなんじゃらほいである。

しかし君の名は。が超ヒットしてその続編(なんだよ)の天気の子もなかなかのヒットを飛ばして、広く一般的にも「セカイ系」の片鱗に触れることが出来たであろう。
意識高い系とは違うけど、別次元の話とも思う。

現実逃避のセカイ系が流行った理由としてはやっぱりオウム真理教の存在を語らずにはいられない。

80年代だったらもう一つの解釈されたセカイ、オルタナティブとまあ言うべきか、エリートが挙って没頭したカルト教団のオウム真理教が席捲していた。

とは言っても現実的には泡沫も泡沫で政治の世界には掠りにもしなかったのである。
幻想が現実を食い破ることなんて叶わなかったからその現実をぶち壊そうとしたのがオウム真理教だった。
豊かで、恵まれた社会に生まれた筈なのに生き甲斐ややり甲斐すらも感じずに狭隘な自己を認めてくれる小さな小さなセカイに埋没してしまう若者やエリートが少なくなかった。
これよりも前には社会主義革命に幻想を抱いたエリートや青年達が挙って暴力革命に乗り出そうとして数々の事件を起こしたこともあった。

どれも結局叶うこともなく、現抜かした人々は諦め、社会に向き合うことにした。

どれも共通して捉えるのは、若者の無知と暴走とも言えるだろうが、そうした暴走する若者に対しても同情を抱き理解者のつもりでいる大人が少なからず存在した。
そう言った大人達も嘗ては革命に恋焦がれて夢半ば諦めてもそうした同じようなことを繰り返す若者にシンパシーを感じているだけだった。
そうした大人達の所為で中々暴走する若者達を検証することができなくなっているようにも感じる。

革命ごっこをやっているのが年寄りばかりで若者がそれにあまり興味を持ってなさそうなのが、側から見ると体制側に飼い慣らされているようにも見えるが、初めから豊かであればわざわざ反撥することもないだろう。
選択肢と多様性があれば若者はどこへでも行ける。
斯くして、社会を引っ繰り返そうと思う若者はいなくなった。
それは幸福だと思う。
一番幸福な時代に生まれた後世の人々は、障壁を感じずに生きていけると思う。

新海誠は天気の子以前の作品でも身分違いの恋の時代ではない故に離れ離れになる恋人達を描いて来た。
時代や身分違いという障壁があってこそ悲劇とかが生まれたのだが、今はそんなものがない。
あとは容姿とか能力とかそんなのだろう。

ほしのこえ、秒速、雲の向こう、言の葉、プレ君の名は。と言える作品はどれもヒロイン(恋焦がれる人)に会えぬもどかしさを描いて来たが、これに共感するのはやっぱり豊かな時代に生まれたオタク達で彼らの悲哀こそであるとでも言えるのだろう。

オタク達が悲しみを背負わなければならなくなった理由の一つとして散々挙げて来たが宮崎勤の事件がある。
時代的にはオウム真理教が勢力を伸ばした頃とほぼ重なるが、オウムが崩壊してエリート崩れの行き着く先がなくなったところで漸く見つけたのがエヴァンゲリオンだったのだが、片や宮崎勤の事件でこれまで平穏無事だったオタクにも風評被害が及んで立つ瀬もなくなったところに降りて来たのが同じくエヴァだったのだが、テレビシリーズは奇々怪々なストーリーで終わり、その数年後の旧劇でもメタ批評をしてしまい視聴者を置いてけぼりにしてしまったことで再び「彼ら」は道すがら迷うこととなってしまうのである。

こうした話は本田透の「電波男」などの著作に詳しいのでこれ以上は省くが、その後に泣きゲーも大流行し始めた。
結局、一般市民の間でもパソコンが買える時代になってソフトもプレイ出来るという豊かな時代に生まれた子供達でしかなかったのだが、オタク達は自己解釈のセカイに没頭するのであった。

だが、既に説明した通りそんなことが許される時代でもなくなってしまった。
オタクが世間と無関係に生きようとしても世間が許す筈もなく、その魔の手はじわりじわりと侵食し始めていたのである。
90年代の有害コミック排斥運動からほぼ20年後に東京都が青少年健全育成条例を改正するという動きが出始めた。
それもその筈で、オタク達は一切合切社会と関わりを持とうともしなかったから政治の世界で何が起きているか理解も出来なかった。
権力に飼い慣らされて大人しくした方がよいという判断を今まで選んでいたら一気に追い詰められてしまった。
子供達が宮崎勤みたいになるという妄想を根拠に「この国の大人達」がオタクを生贄にして子供や若者を支配しようと企み始めた。
何度も繰り返して言うが、オタク達がどうなろうと知ったこっちゃなかったが、この条例を通したら日本は法治国家を自ら否定することになると危惧した。
別段エロくもない絵を持ったりするだけで条例違反となってしまえば、これは法の下の平等に背くのではと感じるようになった。
オタクであると言う属性で犯罪者のレッテルを貼るとなると正に近代法治国家、民主主義国家の否定に繋がるとそう感じた。
都だけでなく全国での反対運動が起こり、結局は都条例が通るのだがオタク達は政治家を送り込むことを決意する。
初めて、30年来でオタク達が団結したとも言える。
時代は変わった。
都条例騒動から10年以上経ったが、政府や国家による露骨な表現弾圧はなくなった。
オタク達の勝利で間違いないのだが、現実的には少子化高齢化や成熟社会や通信網の発達のお蔭で旧来の方法論が丸で通用しなくなったというものがある。
間違いなくオタク弾圧に手を貸していたのがマスコミだったのだがそのマスコミそのものがネットのツールによって逆に批判に晒されるようになってしまった。
マスコミの神通力が通用しなくなった。
ほんだシステムが全国に波及するようになって、世の中の経済構造にまで食い込むようになった。
旧来の武器で戦えなくなっただけである。
時代に取り残された人々の末路は見るも無惨。
弾圧派の政治家達は悉く立場を失い失脚するばかりで、オタクと対立していたようなスポーツウェイ系もまたその理不尽な暴力で支配することも出来なくなってしまったのである。
理不尽には科学で対抗すべきなのである。
そうしてヨットスクールみたいな理不尽暴力主義も段々と消えていくのである。
スパルタの象徴だった石原慎太郎も老いさらばえてしまい一気に権威すら失せてしまった。

人間は寿命というのがある。
肉体的な生命とも言うべき寿命のこともそうだが、現役でいられる寿命というのもある。
これまで理不尽にも支配していた層が時代と共に引退し始めて、オタク世代が逆に社会を牽引するところまで来てしまった。
オタク第一世代は既に還暦を超えてしまったが、宮崎勤の呪いを被った訳ではない。
呪いを被った世代が社会を動かす層にまでなったが、まだ自分達の番になったことに気づいていないようだ。
それも仕方なく旧世代が長生きし過ぎでまだ現役でいるからである。
皮肉にもエヴァンゲリオンが続いているのもそうしたことだろう。
オタクも歳を取ってしまったが、自分が今どの立場にいるかやっぱりそろそろ俯瞰して自覚する時が来たのではないかと思うのである。
セカイの殻をぶち破ってとは言うが、その殻は既に脆くて触れなくても崩れ去るのみだった。
雛のままどころか成長しきっていても気づかずに老いていくことさえもである。
結局、社会を変えていくのは若者であり後に生まれる子供達なのである。
「空の青さを知る人よ」もそうだったが、あれは高齢化したオタクが今度は老害になるという予見でもしたのではと感じる。
しかし、漸く出発し始めたのだと思う。
テレビも宮崎勤はただの人間だったと評した辺り、随分と時間が掛かったなと感じる。
余りにも長かった30年間である。

世界はどうなったっていいと言っても初めから自分達で社会を作っていくと思えばいいのである。

さて、その先の社会をどう描こうか。
天気の子
倍賞千恵子
2020-03-04


セカイの終わりその1 神様になった日を観て

また半年振りの記事となってしまった。

我乍らの出不精加減には辟易する。

年末になって漸くとなったが、このブログタイトルもそうだったがオリンピックのためにオタク・サブカルの文化が潰されてしまうのではないかというきっかけから始まった。

10年前に都条例が改正されて愈々危うくなったかと思ったが、社会は思いも寄らぬ方向へと進んだ。

政治的には参議院議員の山田太郎が郵便票に続いて多くの得票数で当選することが出来、権力者側による表現規制の脅威が取り敢えず無くなった。





ここでは語弊があるが、有権者は常に権力を監視せねばならないので引き続きそこは注視すべきであろう。

実は山田太郎は4年前の選挙では落選していたのだが、その当時ではかなりの多くの得票数だったので流石に世の中がびびり、マスコミや敵対する文化や階層や商売人、警察や政治家までもが顔色を変えて掌返しをしてしまい、オタク・サブカル文化への理不尽な攻撃がすっかりと止んでしまったのであった。

他の国会議員や地方議員も賛同者が増えて来て政治的にはすっかりと勝ってしまった。

とは言っても、実は政治的に勝っても自己実現の出来ない人々がいまだ存在して、一抜けたと思われたオタク・サブカル文化への飽くなき憎悪を繰り返す人がここ最近になってぽつぽつと現れて来た。
現実的な政治的影響力は殆どないがこれを頼みにする政治家が現れないとは限らない。

それは扨措、長くなったが本題。

オリンピックはやるつもりだったがコロナで中止となった。

この2020年は色々なことがあった。

シン・エヴァンゲリオンも今年やるつもりだったがこれも来年に延期。

鬼滅の刃の劇場版が千と千尋の神隠しを抜いて興収一位となった。

パターナリズムの回帰とも目される漫画が超ヒットする世の中で、この30年間の価値観もすっかり変わったと思う。

寧ろパターナリズムを捨てて自立することが大人としての条件を揃えたのではないかと感じる。

去年のヒット作である天気の子がゼロ年代のセカイ系を終わらせたという評価があったが、これも政治的勝利の必然だったと言えよう。


天気の子
倍賞千恵子
2020-03-04



新劇場版エヴァンゲリオンもこの流れで、セカイの壁をぶち破ることで自ら生きる道を選ぶと言う話であった。

新劇場版の前のTV版と旧劇はセカイと自分を切り離して自分が納得するセカイで漫ろに滅ぶということを選択してしまったが、それが最終的にはバッドエンドだったので抛り投げられた人々は自分達で納得するようなセカイを築こうと努めて来た。

それが今回のサブタイトルにもあるような泣きゲー、鍵ゲーの出発点となったようである。

麻枝准の描くシナリオの「神様になった日」はそのセカイ系を終わらせる物語として放映された。



全12話で日常から一転して急展開過ぎるシナリオで戸惑う人々もいたようだが、自分としてはあの構成で十分だと感じた。

話は短くないのである。

原点回帰というくらいだから話は代表作であるAIRから続けば長い長い話だと思えばいい。


AIR - PS Vita
プロトタイプ
2016-09-08



話の内容もAIRぽいが神様になった日はヒロインを救い出した真のエンディングという感じだろう。





試行錯誤して失敗を繰り返し、挫折しても生きていくということを選んだのである。

漸くスタートラインに立てた。

普通の人にとって何気ないことが30年前の抑圧を受けた人々にとって物凄く高く分厚い壁だった。

思えば長い道のりであった。

エヴァの登場で現実から逃げても生きていけるということから始まり、電車男でオタクでもモテることができると分かるようになり、少子化と不況の中でも消費が一定だと知ることが出来て目の色が変化するようになり、政治的にも勝つことが出来るようになっていった。

経済的にも文化的にもこれが基本となってしまったので他の勢力に取って代わられることはないだろう。

独り善がり、自己完結的な物語から脱却することでセカイの殻は突き破られる。

エロゲーも現実的には売れなくなってメーカーも撤退しているところも多いという。
ユーザー達が歳を取ったという現実もあるのだが、決して貧しくなくなって、軽佻浮薄な文化に従う必要すらなくなったからどこにも負い目を感じなくなってしまったのだろう。

セカイの殻を突き破ってみても広がるセカイは大して変わらなかった。
現実とセカイの違いなんてなかったとオタク達は気づいた。

オリンピックなんてリア充の極みかと思ったが、そんなことはなかった。
コロナ禍を恐れてオタクイベントが悉く中止になる様を見て、これまでの普通のイベントが中止になることとどこが違うのだろう。

ウイルスは平等に訪れる。

健康な人でさえもウイルスに罹る。

人を選びはしない。

現実は斯くも厳しい上に、どんな特権すら無力であって人々はそれこそ現実に向き合わざるを得なくなったのである。

これまでの鍵アニメには珍しい展開であったがやけに現実的であるような気がする。

大きな奇蹟は訪れないが、小さな奇蹟を拾うことは出来る。

それは人の努力によってである。

当たり前のことではあるが、努力は必ず報われることはないが積み重ねは出来るというもので、自らセカイを作り上げることさえも叶うのである。

これが「セカイの終わり」である。

神様になった日は「アルジャーノンに花束を」に似ているという指摘があったが、得てしているのだろう。





「アルジャーノンに花束を」の映画の邦題の名は「まごころを君に」である。

もはや分かりきっていることであろうが「まごころを君に」こそ旧劇エヴァの副題そのもので、全文は「Air/まごころを、君に」である。





さて、鍵ゲーアニメが世に知らしめた作品といえば何だろうか。
それはAIRであり、そしてセカイ系に終止符を打ったものこそ「まごころを君に/アルジャーノンに花束を(神様になった日)」なのである。
シン・エヴァンゲリオンの後にあるあの符号は終止記号らしい。コロンが付いているので繰り返しともされているが、繰り返した挙句漸く終わるというものなのだろう。

思えば、セカイ系とはループものが基本で真のエンディングに辿り着くまで何度も失敗を繰り返して辿り着くものなのだが、思いは永遠であっても人の命には限りがあるという現実が横たわる。




個人の命には限りこそあるが、次世代へと引き継ぐげば思いは永遠のものとなる。

そしてそれに気づいたとでも言えようか。

だからこそ、終わりを告げる必要があり新たに道を歩まねばならないのである。


共通良識は多数派の情緒、諸行無常、朝聞道夕死可矣、民可使由之不可使知之、倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱、井蛙が良。 新居昭乃、宮澤賢治、本田透、英霊の声、蜘蛛の糸、まどか、まほろ、Fate、みなとそふと系、MATRIX、ドラえもん、ジブリ、エヴァ、マサル、アンパンマン、北斗の拳、夜勤病棟、君の名は。美術館と格闘技が好き。
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