2020年の東京オリンピックまでオタク文化が一掃されなきゃいいけど

タイトルの通りです。 オタク文化を権力に縋る連中から守るためにブログを書くことにしました。 微細な力ですがどうかよろしくお願いします。

オタク世界と現実

デンキ街の本屋さんを観て

これも漸く観終えた。

かなり面白かった。

具体的な地名を挙げてないけど、秋葉原だよね?

秋葉原じゃなくて実際は外神田なんだけど。

うまのほねと言う名前でもあの位置的にはとらのあなだよね?

秋葉原に腐女子?

と感じたが、デンキ街ということで腐女子もうまのほねで腐向けのコンテンツを買い漁るんだろう。

腐向けの店って、その隣の店舗で十二分過ぎる程に取り扱っているんじゃないのかい?


 











社内恋愛なのかな?

破れ鍋に綴じ蓋、好いた惚れたに迫るけどそれを乗っけないと物語として成立しないのかなあ。

面白かったのはGメンさんの話だろうか。 

「私、エロ本好きっ!」 

男に連れられて趣味が変化してしまった。






























 












誰が弱い者いじめをするのか Part12 オタク的価値観たる相対主義の終わり

岡田斗司夫が自爆した。

岡田斗司夫はオタクかと思ったが、なんと 女を複数囲っていたとのこと。

なんだ、リア充じゃないか。

オタクは二次元に限るとかは嘘である。

岡田斗司夫自身が偽物なのだろうけど、オタクがハーレム囲うなんて正にアニメを描いたようなものである。

アニメの主人公は時としてハーレム展開が生まれるが、ゼロの使い魔の才人なんか周りからモテる男だったよね。

でも才人に惹かれる女性陣には愛はあるのだろうけど、才人自身にはルイズにしか愛を感じなかった。

真実の愛はどうやって描けるのだろうか。

少なくとも岡田斗司夫、オタキングにはそういうものはなかったようだ。

自分が一段高いところから俯瞰する姿勢を取って来たようだ。


こんなんでは女にはモテないだろうと思うが、そんなことはなかった。

メンヘラを拐かして囲っていただけだった。

それなら他の人なら出来るのかといえば、そんなことはない。

オタキング自身相対主義の権化だから、そういう話術には長けていたのだろう。


オタキングがなぜ今迄慕われたかといえば、そういう魔術を持っていたから他ならない。

男に対してはコネをちらつかせて自分が大きい存在に見せる。

女にもそういうやり方なのだろう。


私自身、オタキングの本を何冊か持っているし、オタキングの主張に頷ける箇所は幾つかあったりする。

これは事実だし、今更引っ繰り返そうとも思わない。


とは言っても、これ今思えばオタキング自身の実践集なのかなと思ってしまう。

しかし、オタクの実践の行き着く先が「アレ」となるともう駄目だろう。

オタクは結局幸福になれないということである。

オタキングが「新しい恋愛の形」等と言い訳めいた事を言ったが、あれは姑息な手段である。

その場凌ぎの言い訳である。

誰に通用するのであろうか?

自己肯定の極致である。

そう言えば、エヴァンゲリオンの結末は自己肯定であった。

息苦しい世の中で生まれて如何にして死なずに生きるか、この世界で自分が生くるに相応しいと肯んぜねばならないか、ここ30年は呻吟していたろう。

その答えをオタキングは見つけたのである。

それで十分通用したのである。

オタキングは道徳を説いたつもりはなく、処世術を説いていた。

処世術がオタクの道徳だったのである。

道徳とは権力者や強者のためにあるとするのだ。道徳とは統治の理論。

オタキングは世間に向けたのではなく、自分の信者やオタクに向けて言っていた。

それでオタクの王様になれたのだろう。

こう照らすと分かり易い。

一所懸命に説いたのは別に新しいことではなく、奴隷道徳、ルサンチマンに過ぎなかったのである。

このルサンチマンをオタクは受け入れた。

このタイトルが作品になっているのもあったな。

奴隷道徳とは、自分が奴隷であることを肯定するという感情と言う事らしい。

強者による統治の理論が道徳なら自分達で新たな生きるための指針を設けねばならないとするのが、奴隷道徳であり、オタクの処世術だった。

当然、実践者のオタキングには道徳というものがない。被支配者のオタクは常に石礫をぶつけられる存在であるからだ。 

恋愛も出来ない。

オタクに出来る訳がないのだ。

だからこそ新しい形の恋愛が必要だった。

オタキングが自爆したのは、やっぱり現世肯定に縋ったからである。

オウム真理教の麻原彰晃が自分の作った庭に信者を押し込めたが、本人は市民社会の価値観をちゃっかり享受していたことから、人は魂がある限り、欲望、渇望から逃れられない。

電波男の本田透の方が行者に見えてしまう。

オウムが既存の価値観から隔離しようと考えてたが、オタキングの新しい価値観は現代社会に寄り添う形で別の生き方をするということであった。

オウム真理教になる訳にはいかないので、『オタクは既に死んでいる!』と説いたのである。

ぶっちゃけ、現代社会から隔絶した生き方をすることは出来ないからだろう。

本田透はほんだシステムで還元させようと考えてたらしいが、それをあっさりオタキングに覆されてしまった。


オタキングはオタク初の価値観が世界を覆せるとでも思ったのだろう。

それこそオウム真理教が描くようなことではないが、色々と「反」を示そうとして来たのかも知れない。

その「反」こそ「相対主義」なのだ。

相対主義が既存の価値観を突き崩す鑓のようなものだった筈だが、結局それが中身を伴ってなかったのでもろくも崩れ去ってしまったのである。 

その相対主義の権化を相対主義者達は崇め奉って来た。

勝ってもないのに勝ち気でいられる。

負けたくはないから相対主義で負けを認めない。

あらゆる価値は等しい、そう言わしめて来た。

それでオタクたちは30年間の塗炭の苦しみから少しづつだが逃れようとして来た。

美少女アニメが好きでいいではないかと。

コミケに行ったっていいではないかと。

趣味を語ってもいいではないかと。

アイドルを追っかけてもいいではないかと。

お金を自分の事に使ってもいいではないかと。

馬鹿にされる謂れはない。

馬鹿にする方の趣味は何だ、それが至上価値なのか。

バブル時代はあらゆる消費活動が肯定され、正に恋愛至上主義が蔓延ってそれに附随する体育会系的なノリも相俟って軽佻浮薄な文化を支えていた。

当時の消費活動に乗れない人の苦しみは計り知れないものがあっただろう。

それを打ち崩すのがオタクの持つ相対主義の鑓だった。

鑓というよりも防衛術なので、楯だろう。

しかし、軽佻浮薄なバブル文化は弾け、長い不況が訪れた。

もう20年である。

最後の消費者であるオタクが生き残ったので、それに当て込むようになったためにオタクが最終的に勝利者なき勝利者となった訳である。

少子化が進むのはオタクしか残っていないから。

オタクを新たな消費者に仕立てようとしてもそれが失敗しているのだ。

頭打ちである。



今、スキー場が盛況らしい。

バブル時代にスキーへ行った世代が子供連れで再びスキーをするからだそうだ。

常に勝者である。

要するに、これが中間層なのだ。

現実は厳しい。

中間層の復活とはこう言った世代を甦らせ、活力を入れることである。

本当は民主党はオタクのために色々と力を入れてたりもするのだが、オタクにしてみれば何故だか自民党との親和性が高い、ように見える。


頭が固いように見えてしまうから中々受け入れられないのだと思う。

中間層が復活するとオタクは生きづらくなる。

尤もバブル時代なんかは民主党は存在しなかったから、全部自民党で調整は社会党だった。

労働組合が減って来ているし、民主党の代わりになってるのが左派の維新の会(維新の党) である。

右っぽいことを言っている維新の会だが本当は左派。

愛国的な左派と言っても良い。

これが何故だか変なのだがどこの国でも左派と雖も愛国的なのである。

日本くらいで左派が売国だったりするのだ。

今では保守と名乗っても国を売りかねない事も有り得るので一概には言えないのだ。

さて、この売国愛国右派左派と捉えていてもオタクに優しいか厳しいか、それだけでもオタクにとっては政治家の扱いはシビアなものになる。

表現の自由を守る野党、与党にもいるが、それを庇おうとすると生きづらい世の中になる。

オタクの生き方を肯定しようとするものならば逆に規制だらけの奴隷道徳を享受する事を肯定せざるを得なくなる。

何時まで経ってもオタクは勝利者になれない。

永遠に敗者の儘でいる事を甘んじなければならない。


オタキングが敗者でいられないような生き方を見つけ出したのだろうが、この作戦は失敗である。

愛がないからだ。

でも、愛とはなんぞや?

誰も説けないのであればオタキングを否定出来ない。

それだからオタキングが勝っていられる。

相対主義だから敗者が存在しない。

でも、市民主義社会の輪の中での勝者(演じたつもり)だから自爆しているのである。

現代のオタクですらオタキングを誰も庇わない。

そりゃそうで文字通り無様であるからだ。

エヴァンゲリオンの劇場版でアスカがシンジに向かって「気持ち悪い」と言い放ったのと同じである。

世間の壁は厚い。

端から見れば自己肯定の塊ほど醜いものはない。


だから、我々は斃れた醜い屍を客観的に観ることが可能なのである。

オタキングに始まってオタキングに終わるのだ。

オタクにとっては依るべき教祖なんていないのだろう。

寧ろ勝手に教祖を名乗られては困る構えである。

東浩紀がそれ目指そうとして失敗した。

これに関しては散々言って来たので今更言及するつもりはない。


オタクにとって基本的に個人だから別に他の人が価値観を与えなくても十分に生きていけるからである。

オタクはそれでも生きて行く。

愛という形は世間には理解できないであろうが、それはキリスト教的な愛かも知れぬし、仏教的な捉え方からすればこの世に縋る愛の形なのかも知れない。


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2013-08-20




















本田透どこ行ったのかなあ(´・ω・`)

でも語り尽くしたから別にいいか。 

9月1日のTVタックル『ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?』の放送を観て。

周回遅れの議論であった。

児童ポルノのことに関してはこれまで説明した通りなのでここでは言わないが、明らかに「あの事」をネタにしてテーマにしたよね。

あの事とは、皆の知る所、倉敷の監禁事件からゴー宣道場での議論に上って所謂「祭り」になってしまった、という事である。

そもそも規制って何のことなのだろうか。

提案者がそうした物を示さない限りフワフワした印象論、感情論、魔女狩りで終わるだけである。

厖大な収録時間だったと思うが、恐らく相当カットしたのだろう。

数ある猥褻事件で「漫画が発見された」と言われるが、それでどうしたのかという印象しかない。

それが結局決定的証拠にならないのが当然である。

新潟の監禁事件があったが憶えているだろうか。

犯人はロリコンである、と位置付けたい向きもあったのだろうが、9年も監禁していた鬼畜ではあるものの人は成長するものだ。

その時点で「子供じゃなくなる」のだが、成長したら犯人はその監禁していた人を「捨てる」のだろうか?

南斗鳳凰拳のサウザーじゃあるまいし。

犯人はロリコンでも何でも無く「人を支配したい」だけなんだよね。

倉敷の犯人も一度離婚しているし、自分で相手をどうにも出来なかったから、力も判断もない「子供」を狙い撃ちにしただけなんだよね。

はっきり言ってこういう至極単純なこと。

足下の事象に気づかずに先入観で先走ってしまったなと思う。

とまあ、こんな自分なりの結論はさておき、番組は全く議論にならなかったから後半は「オタクの生き方」に終始してしまった。

美少女フィギュアがどうとか、これはよくある御為ごかしだよなと感じる。

彼女作れとか、これって別にいいのではないのか?

たけしがフェラーリに命を懸ける人の例を持ち出したり、自分の映画が規制されたりすると言う事を持ち出して番組自体はかなり「バランスの取れた」構成になっていた。

バランスを取るということは、結局反対派が勝っていることなんだけど。 

それでも規制賛成派はどこかで天下り先を作りたいという思惑があるのだろうなあと思う。

そこを岡田斗司夫はさらっと出して突っ込んでたけど。 

しかし平林都、声がでかいだけでマイナスのイメージしか無いよ(´・ω・`)



 


 

 

 


 

なんか態とそれ狙ってませんか? コミケのコスプレパンチラ #C86

コミケ一日目が終了した。

相変わらず、メディアスクラムの凄さは思い知らされる。

しかし、前年の入りと比べて4万人少ないという。

熱中症を警戒してのことだろう。 

普段から体を鍛えておかないと死の危険が待っているからなあ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

最近のコスプレは一足先に辿り着いた欽ちゃんの仮装大賞のように会場もそんな雰囲気になって来ているように思える。

小道具用意してコスプレを完成させるのだ。

これは凄いというか、目立ちたいだけだもんなあ。

畏れ入る。

さて、本題。

カメコの低姿勢撮影が少し話題になっているという。

解っているけど、中身を写したいからという本音だろう。





 
紹介しているのはごく一部だが、こんな感じだろうか。

禁止しているのは確かだが、態とそれ狙ってんじゃないかと思うようなコスプレしているのだっている。


夏と冬でしか輝けない人のためのオタクのお祭りなのだから、許してやれと思う。

警察でもないのに行政指導的で何だかうんざり。

ええかっこしいことでもしたいのかな?

会場の外では禁止にしているのだから大目に見てやれと思う。

でも、確か隣の会場でコスプレやってるんだっけか?


態とスカートたくし上げてパンツ見せているようなコスプレイヤーもいるし、露出キャラでもないのに自らアレンジメントして露出のあるコスプレにしたりと、そんなに見せたいのだろうと思う。

態と話題を焚きつける行為はマッチポンプとしか言い様がない。

Free!で見られるように男のコスで上半身裸はノープロブレム(無問題、没問題)なのだな。

そしたら誰かオカダカズチカや外道のコスか三沢さんか橋本真也か武藤敬司や蝶野のコスしてきてくれないかな と思う。

態と撮られているような人は許可させているだろうし、見せパンもしているだろうし、そういうような人がいるから目立っているだけじゃないのかと思う。

そのような人は完成度が高いよなと思う。

どこから衣裳代を調達するんだろうかと思う。

どうやらそういうような人はその手のプロらしい。

撮影してDVDを売っているのだろうか。

まんだらけやホワキャンとかで見かけるDVDかなんかか。

中には風俗嬢とかAV女優もいるらしい。

それは知ってるけど、どんな人が参戦してもいいよね。

アマチュアの祭典なんだから。

実はコミケとオリンピックは同じなのだ。 

そう言えば風俗嬢とか、風俗はコスプレ売にしていることろがあるよなあと思う。

旧来のコスプレじゃなくてアニメキャラのコスプレ。

金を他に散財しないヲタを狙っての事だろう。

商売だからと言う訳でもなく、本当に好きな人もいるのは確かだし事実。






 












晒まであるのか(´・ω・`)
ご苦労様ですm(_ _)m








果たして最後のコミケになりゃせんのだろうか…? #C86

今年も86回目の同人誌即売会が開かれる。

オタク差別主義者の超表現規制派の竹花豊がビッグサイトの取締役になっても開かれるようだ。

色々あった。

ここ最近の表現規制の波が強くて各々が自主規制に迫られる事もあったが、このお祭り自体が中止に追い込まれることはないようだ。

北原みのりのような者がロリコン文化糺弾と称して潰そうと考えているわけでもないし。

これは非商業系だから誰も突っ込まないんだよ。

猪瀬(当時の副知事)がコミケは例外だとか鬼の首取ったように呟いていたがそんなものは当たり前で、誰が商業を介さないで物品のやり取りをしているんだ。

これはまあよく言われることだが、「グレーゾーン」なのだ。

限りなく黒に近いグレーゾーン。

お金払う行為は「寄附」と言う名目らしい。

だから非課税。

あんまり稼ぎ過ぎるから税務署も目を光らせているようだ。

コミケの仕組みはビッグサイトと言う施設を使って皆が自分で勝手に描いたアマチュア漫画を譲り渡しているのだ。

ソープランドのような感じね。

ソープの仕組みは今更言う必要もないので自分で調べて下さい。

取り潰されないためにも委員会が頻りに決まり事を設けて運営をしている。

コスプレにおける所持品の規制とか、薄い本の修正とか、色々あるようだ。

でも、コアマガジンの件でコミケまでにその規制を迫られることがあるのか無いのか、実態はよく分からんが、非商業系なんだから許してやれよと思う。

規制が商業流通におけるものなら逃げ場はないのだろうが、アマチュアの世界なら表現は可能ということか。

表現の自由は生存権じゃないのか?

生存権は自然権で、憲法が制定される以前に人類、人間が初めから持っている権利と言う意味ではないのか?

人間には生存権(自然権)が有ると言う事を憲法がちゃんと確認していますよと言うのが現行の憲法ではないのか?

自民党が作った憲法草案は酷いものでその生存権すら国の管理下にあるような事を言い放つから、こいつは何を言っているんだと思わず首を傾げてしまうのである。 

何れにしても、このブログのタイトルのように2020年には東京オリンピックが開かれるので、夏にはコミケが開かれなくなる可能性が高いのである。

その為に政府がコミケならずともオタク文化を規制しようとしているんじゃないかと思っていたが、現段階では分からない。

所謂改正児童ポルノ法では漫画などが規制から外れた。

その段階で、オタク文化の一つが守られたと言っても過言ではないだろう。

何よりも、舛添(現都知事)が東京五輪縮小計画を主張し、オタク(または性風俗など)文化規制まで手を伸ばさなくなった可能性が出て来たから、一時の安堵は手に入ったかも知れない。

これが一つの安心。

でも、そう言う訳でもないのだ。

青少年有害社会環境対策基本法が出されようとしている。

これも知らぬ間に突き通そうとしている。

まだまだ安心は出来ない。

それだけでなく夏のコミケはその苛酷さ故に毎回熱中症に罹る人が多数いて救急車のサイレンは鳴りっぱなしなのだ。

小林幸子もコミケ参加するようだし、老人も来る可能性が高い。

そうなるとそれこそ、熱中症になって其の儘死んでしまったら、コミケの存続すら危ぶまれるのだ。

権力が潰そうとしても結局自分達でそのお祭りを潰してしまいかねない事態になってしまう事は避けたい。

どうにかならんものかといつも思う。



 

 
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共通良識は多数派の情緒、諸行無常、朝聞道夕死可矣、民可使由之不可使知之、倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱、井蛙が良。 新居昭乃、宮澤賢治、本田透、英霊の声、蜘蛛の糸、まどか、まほろ、Fate、みなとそふと系、MATRIX、ドラえもん、ジブリ、エヴァ、マサル、アンパンマン、北斗の拳、夜勤病棟、君の名は。美術館と格闘技が好き。
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