2020年の東京オリンピックまでオタク文化が一掃されなきゃいいけど

タイトルの通りです。 オタク文化を権力に縋る連中から守るためにブログを書くことにしました。 微細な力ですがどうかよろしくお願いします。

表現の自由の頽廃

誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃16 一寸の虫にも五分の魂



こんな呟きが多くのリツイートとファボがなされた。

当然だけど批難の声が殆ど。

画像は数年前のものだけど、この主催者は今こうしたことは行わせていないという。

行わせていないというよりも画像を拡散させるなと釘を刺しているらしい。

言っちゃなんだが、有害業務すれすれではある。

こうしたキッズアイドル(ジュニアアイドル)はひと昔ならば流行っていた。

ロリコンブームよりかはまだマシなのだろうけど、ジュニアアイドルが低年齢化していて際どい水着を着させられたものを映像ソフトとして売られていたこともあった。

流石に一般メディアにも晒されて来て批難囂々となっていたので鳴りを潜めてしまった。

チキンレースさながら競えば過激化するのは常だが、提供する側も感覚が麻痺していたのだろう。

提供する側である。

実は。

例えに出すがAKBの握手券商法みたいなもので実態はそんなに多くなくても太い客が彼らを買い支えてくれる。

キッズアイドル出身者の芸能人って他に誰かいるのだろうか?
雨後の筍のようにパッと出ては来るもののそんなには続かない訳である。
大体は子役と同じで途中で辞めてしまう。

子役、後述するがここに注目である。

伸びなければ途中で終わる。

キッズアイドルは大体が親とかがやらせる。

芸能界に憧れた親が自分の望みのようにやらせる。

さて、この構図はどこかで見覚えがあるだろう。

ボクシングである。

幼少の頃からボクシングをやる子供がいるが、大体は親がやらせる。

親が自分の叶えられなかった望みを子供に託す形でやらせることが多い。

亀田一家や井上一家である。

代表的なものだが、これは子供をそう育てさせて生き残った例であろう。

子供の自主性を尊重するなどと言ったら今頃亀田三兄弟(一番下妹は置いといて)やモンスター井上兄弟なんか出て来ないだろう。

天才だから?

違う。

周りの環境を遮断させてそればかりやらせて怪物を製造させるのである。

彼ら親は文字通りの“毒親”である。

ただの勝ちには何の価値さえも見出させず、完璧な勝ちを得るまでやらせるのである。

子供を壊して自分の思い通りのロボットや怪物を作らせて行く。

毒親家庭の一つにテストの点を常に100点満点にさせねば気が済まないようなのがある。

親自身が多様性を信じていなくてこれしか価値がないと振り切ってしまっているのである。

親自身が多様性の一つだろうと言い訳をするが、大体は子供を出汁にしているだけである。

ロボットモンスターの子供を褒められれば親が増長するというものである。

キッズアイドルもこれしかないと割り切ってしまっているのだろう。
親自身が既存の世間の水準(平凡)に馴染めないこともあるのだろうが、才芸が突出していれば価値を認められると分かってしまっているところもあるのだろう。

キッズアイドルが世間から疎まれていてもそれを称賛する人々がいるからその価値を支持し続ける訳である。

閉鎖空間での価値観ではある。
国内ではその価値観を認めることは日本国憲法で思想信条の自由や信教の自由や良心の自由や表現の自由や言論の自由、職業選択の自由、集会結社の自由など自由権として認められている訳だから、こうしたことに関しては尊重せねばならないのである。

いくら個人がこれキモいから排除しろと言っても行政や権力がそれを認めて行使する訳にはいかないのである。

そういう壁を感じるから憲法改正草案には「公共の福祉」というものを前面に出して自由権や価値観を抑制させようと考えるのだろう。

キッズアイドルを法律や条例で規制しようとしたらどうなるのか。
当然だけど主体となるキッズアイドルそのものを規制することは出来ない。
憲法の法の下の平等に背くからである。
行為行動となる客体を規制する他ないので未成年者の出演するものを規制することになるから子役そのものを規制することになる。

そんなことをすると子役を必要とする芸能界そのものにメスが入るだろう。
子役の現場は虐待みたいなことが行われているのではないかという予見がつく。
誰も子役の現場を批難したことがあったろうか?
リアリティを求めるため?
そんな必要があるのか?

志村けんのコントみたいにおっさんおばさんが子供の姿に扮してコントをやればよかろう。

これもそうだが、AVもリアリティ追求のためにやる必要ないみたいな意見も出て来るが、子役はどう思う?
歌舞伎とかの伝統芸能の世界はどうなる?
サーカスは?
それこそ学業を疎かにして演劇を行なっているかも知れぬのに。
ロビー活動でマスコミに緘口令を敷かせている成果かも知れんが。
キッズアイドルは結局のところ子役で儲けている芸能界のスケープゴートにされている感がある。
生贄の羊よりも防波堤のようだが。

誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃15 鬼の居ぬ間に洗濯

昨今の不倫騒動にはうんざりする。

これは個人的な感想に過ぎないが、売れるためにはある程度仕方のないことなのだろう。

成功した者達を一気に奈落の底に落とすチャンスだからでもある。

昔だったら何人お妾さんや愛人や二号さんやらリゾラバやらアッシーメッシーミツグクンやらを囲って自分達のステータスとして飾っていたことだろう。

しかし、戦後家父長制度が崩壊して家族の単位が原則夫婦の単位となった。

昔は当然だった時代から夫婦単一が当然という意識が時代を経て定着した。

お見合いから恋愛が中心となり、まあプラトニックになっていったのだろう。

となると不倫はプラトニックではなくなる。

とは言いつつも不倫は凡そ個人間同士の問題なので第三者が容喙するものではなかった。

恋愛至上主義の延長でそのイメージで売っていた人々にとってはマイナスという事で責められる話題の一つとなってしまった。

プラトニックを売りにすると言えばアイドル(職業としての)もだが、これもアイドルはうんこなんかしないイメージを別の形で引き継いだのであろうか。

ピュアさを売りにしてファンに観心を買わせたにも拘らず陰ではそんなことは露知らずで他の人とちゃっかり恋愛をしていたとなると何の為にファンは貢いでいるのかということになる。
 
それをアイドルを管理する運営は必死に隠し通したりするがマスコミはそれをすっぱ抜いて記事にする。
そうすればアイドルの動向を知りたい人々が気になって雑誌を買って読むようになる。

そういうようないたちごっこ的なやり取りが暫く続く。

しかしそれ(恋愛禁止)は原則でないとなると記事にする意味を無くし売れなくなってしまいアイドルではなく芸能人や声優などを狙い撃ちにしようとするのであった。

芸能人はアイドル以外でも成功者を引き摺り下ろしたい人々にとって恰好の材料である。
これ、恋愛スキャンダルがバレると仕事に差し支えるようになる。
ただ、それは影響力のある芸能事務所は相変わらず追えずに小さなところや大きくても影響力の薄いところにしか狙い撃ちが出来ない。

最終的に大したことのない芸人の不倫騒動しか追えなくなってネタ切れを起こし始める。

政治家の不倫騒動が騒がれるのは、結局政治家は聖人君子という旧来の徳を持つという考え方に基づくものなのだろうと感じる。

ここ最近のパターナリズム回帰が顕著になるのも新自由主義への反撥の表れではないかと思えてしまう。

不倫ネタ、恋愛スキャンダルさえ出せばある程度売れるということに味を占めた週刊誌はほぼ毎週そうしたネタを出しに来るが、必ずしもそれが成功するとは限らない。

空砲ばかりである。

読者が無反応だったり逆に読者から反撥を食らったりして食いつきが悪くなることもある。

そして、スクープが掴めずに失敗に終わることもある。

誰に向けて不倫ネタを提供するのか、趣味が何もない堕落し退屈な日常を送る人のために送るのである。

声優の恋愛話とかはそれさえに興味ない人にとっては無反応であり、アーティストの不倫騒動は寧ろ逆に大反撥を食らってしまうという失態を犯してしまう。

ネタを捕まえようと必死になってみたものの結局ネタが掴めずに終わってしまう。

そうなると虚仮にされたと思うのだろう。

ジャーナリズムよりも復讐心の為に動いてしまう。

とっくに化けの皮は剥がれているにも拘らず、それに気づいていない振りをしているのか、必死になって取り繕おうとしている。

証拠を捉えることが出来ずに遂には関係者の感想文を載せる始末となる。

もうこうした復讐心だけに駆られたジャーナリズムはもはやその体をなしておらず自死を招く結果となってしまうのである。

報道の自由や表現の自由を行使して雑誌を作ってもいい。
しかし、虚仮にされたから復讐心のみで作るのであろうか。
自由には責任を伴うとはよく言われるが、責任を果たせず復讐心で作るとなるとジャーナリズムの終わりである。

証拠も出せずに表現の自由に逃げるのなら、それは他の努力する人に失礼ではないか。

表現の自由とは責められない権利ではない。

国家は表現の自由を保障するのである。

しかし最近は国家、というよりも政府、いや政権が執拗に自由権を冒し始めようとしている。

政権を維持したいから人々の自由を縛ろうと考えるのだろう。

ただでさえ雑誌なんか売れない。
権力に阿った記事書いて権力からお金貰えば安泰である。
権力には逆らえず、反撃もしない反論も出来ない人々に向かって棍棒を振り下ろす簡単な仕事です的な事をするようになる。

政府が瞠っていない、無反応にならない、反撥を起こされない、それじゃあどんなのがネタになるか。
当然反論しない一般人が狙い撃ちにされる。

こうして弱い者虐めがお墨付きを得て常態化するプロセスを描くのである。

しかし最近は権力が泥舟と分かった途端に権力批判を始める。
泥舟から逃げ出す人が目立ち始めた。

それでも読者に慮って相変わらずの権力擁護特集を組む雑誌も健在。

原則、売るのをやめろというよりも支持しなければ売れないのである。

売れないジャンルで攻めようとしても金にならないので売れる訳がない。
そうして対象が絞られると必死になるのであろう。

段々とこのジャンルも終わりが近づいて来ているのかもしれない。

誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃14 王様への貢ぎ物

はすみとしこの描いた絵が物議を醸す。

いつもの事なのだが、やはり今回もである。

FullSizeRender

スクリーンショットではあるが、相変わらずこんな感じではすみとしこはアップする。

似顔絵を描いているつもりだが中身のキャプションが如何にもである。

直接的に本人であろうとする名前を書いていないし「本人ではない」と強弁すれば済むのだろうが、やはり意図して描いているのであれば悪質である。

描いた本人が「本人でない」と否定すれば済むのだろうが、この後に付く所謂「クソリプ」がその人を指摘するのであればもう意味はない。

意図して描くのならば攻撃的に描いていると思えば良い。

斯くて、表現の自由とは人を殴る棍棒に成り果てた。
と言いつつも、元からなのであろうがそれさえも守らなければならないのが自然権である。

こういう人達は権力者に対して何も言わないのだろう。
自分達の権限を保障してくれる権力者の為に描けば表現の自由は守られるのである。

弱い者虐めが快感なのである。
彼らにとってはそれが本質。

愛国とか反権力とかではない。
相手が反撃しないでただ単にサンドバッグになってくれればそれだけで良いのである。

そして、それが一定数の支持を集めている。

「〇〇の癖に出しゃばるんじゃねえ!」

という感情がそれらを支えるのである。

支持してくれる人がいれば自分が正しいと思うのである。
たとえ卑怯卑劣な事を行なっていても。

またこれで、それではこの絵を禁じたりもすれば表現の自由に抵触したり、また「奴らがまた妨害して攻撃した」という口実を与えてしまうのである。

彼等も実は分かっている。
権力者に擦り寄ってさえいれば安泰だという事を。

最近権力者に擦り寄る人々の下品さには辟易するものばかりが目立つ。

権力は腐敗するとも言うが、あからさまに権力者に擦り寄る姿勢の人々もまた腐るのがよく分かる。

この事は、歴史に残るだろう。

そして、裁かれるのだ。

それでも反日してみたい
はすみとしこ
2017-09-15


こんな本を紹介するのも気がひけるが、また次も出すのだろう。

誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃13 猿の惑星の子供達

暫くこちらを放置してしまった。

表現の自由をテーマにしたことを書いてきたが、今回は少し違ったところから考えてみようかと思う。

現在森友学園が紛糾している。

政権に媚びたつもりがその政権から掌を返されて今や窮地に立たされている。

殆ど自業自得なので庇うつもりはないが、まぁこんなもんだと思う。

森友学園が開校予定にしていた、瑞穂の國記念小學院(安倍晋三記念小学校)の校章に五七桐が用いられていた。

五七桐とは天皇陛下から下賜される紋章のことである。

これを家紋に使っていたのは豊臣秀吉と日本国政府である。

慣例として陛下の家臣として認められたものこそが使っていた。

瑞穂の国なら稻紋ではと思うがあの保守フェチはそう言ったことは頭に入らないらしい。

陛下の臣下であると勝手に名乗っているだけである。

五七桐を使うのは自由だろうと言うのは構わない。

家紋に関しては別段法律で定められている訳ではない。

勝手に僭称するのなら最早「自由気儘」と言う事他ならない。

自由を保障するもの、それは憲法。

日本国憲法である。

この人達は保守回帰、明治時代を夢見ているのだろうけれど、自分達の自由を担保しているのは日本国憲法他ならないと言うオチに辿り着いている。

保守派に媚びてお金集めようとしてたところ、その保守派から梯子を外され頼みにしていた政権からも煙たがられ、国から金返せとせがまれこれから借金まみれになることが確実なのだが、国の為なら潔く自ら果てるのが筋であろう。

どいつもこいつも無様であるとしか言えない。
皆その責任を他人に擦り付け、媚びた本人がその後始末をどうつけるのであろうか。

結局児戯でしかなかったのである。

自由には責任が伴うと言われるが、この学園の関係者は責任をおっ被せられてしまうのだから本望と言えば本望なのだろう。

自由は自分のエゴ、そのツケは他人に支払わせる、最近の新自由主義もそうだがこう言うのが特に見られる傾向だなと感じる。




 





 

誰が弱い者いじめをするのか番外篇 表現の自由の頽廃12 最後の拠

ヘイトスピーチ対策法案が反対者7名を除いて参議院を可決した。


自公民共の与野党は賛成をしている。

反対者は今や無所属となった山田太郎議員、 日本こころ党の3人、社民党の2人(3人いる内の社民党の一人は欠席)、小澤一郎の生活が第一のメロリンQの一人と合わせて7人である。

意外であろう。

リベラル左派系が反対に回っている。

この法案は法律で規定されても罰則規定がない。

違法と分かっていながらも取り締まれないのである。

右派とすれば表現の自由に抵触するから反対に回り、左派としたら罰則規定がないので取り締まれないから反対、ということだろう。

最右派とされる日本のこころはどうせ韓国もヘイトスピーチやってるじゃないかという構えだろう。

それは当然だとしても、 果たして相手と同レベルで良いのかと思ってしまう。

政治家なんだから別のやり方の表現の仕方だってあるだろうと思う。

デモ行進は表現の自由と集会結社の自由と言論の自由といった人々の自然権の一つである。

何も持たない人達の最後の拠がデモ行進である。

しかし、左派が何度も何度もデモ行進をしながら一向に効果が上がらないのに、右派のデモ行進が社会的な影響を及ぼしているのだから左派は完全に負けたと言っても良い。

反天連や共産党系の米軍基地反対運動は権力への抵抗らしいからヘイトにはならない、そうである。

左派系のデモは内輪で終わることが多く、共感されることがない。

去年の夏の国会前の狂騒は左派、即ち共産党系が仕組んだことではあったが一時期注目を集めたが年度が過ぎて学生だったものが卒業すると運動を続けることが出来なくなる。

それでも、続けようとして隠れ蓑にしながらも政治運動に加担しても悉く負けてしまっているのが現状である。

それで右派が伸びているかといえばそうではないようだ。

右派のデモも回を重ねる毎に規模が小さくなっていっているそうである。

これも失敗と挫折に端を発するからだろう。

元会長の桜井誠率いる在特会が裁判で負けたこと、そして記憶の彼方ではあろうが橋下徹元市長との対談の失敗だと感じる。

あれは外国籍の人々への憎悪ではなく、マスコミへの憎悪を開陳させただけに過ぎなかった。

お台場フジテレビデモもマスコミ批判であった。

曰く「マスコミは正しい情報を伝えていない」 

これはどの立場でも言えることだが、右派左派共に唱えるようだ。

正直、あの頃のお台場フジテレビデモの方がまだ牧歌的ではあった。

やられた方に取っては迷惑この上ないだろうけど。

その前にはフジテレビが日韓共催のワールドカップに配慮したような姿勢で報道したせいか、ネット住民が反撥して27時間企画の海岸ゴミ拾いを敢行してしまい放送時にはすっかり綺麗になってしまったという“事件”が起きていた。

この頃のネット住民は“まだ健全”である。

まだ健全だったのだ。

愛媛県がつくる会系の教科書を採択した時には愛媛のジュースを飲むオフ会などが開かれていたりと、殆ど“誰も傷つけない”ような表現活動をしていた。

何時頃からだろう、ここまで来てしまったのは。

どこまでならやってよいかという線引を自らしていたのに、それを破って、表現の自由というのを言い訳にして批判とは無関係な繁華街で罵詈雑言を号び捲くる。

個人的な感想としては、あれは言論戦だった筈なのになぜ続ける理由を表現の自由に押し込めてしまうのか。

表現の自由に引っ込めたらその言論戦はお終いである。

韓国大使館でやれと思うが、大使館は静謐を保つことが前提なので出来ない。

だからコリアタウンで喚き散らすのだろう。

当て擦りである。

デマでも表現の自由でいいのかと思う。

結局自分が満足すればそれでいいのだろう。 

前述の反天連の皇室侮辱デモや左翼劇団の皇室侮辱寸劇で満足するのと同じである。

不敬罪がないから自由なのだ。

いくら不平不満をぶちまけても自分達の立場が変わらないのだから皇室も大らかである。

しかし、罰則規定はないがヘイトスピーチは違法と決まった。

正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。

PDFは法律案とされているがこれは通るので案は消える。

法律なので国または自治体はこれを解消する努力を義務付けられる。

罰則規定はないが法律なので、民事になったら絶対に負ける。

この法案が通った背景はやはり在特会が京都朝鮮学校の件の裁判で負けたからだろう。

上記に挙げたがこれがターニングポイントとなりこの一連のデモ行進が小さくなってゆく。

国連の人種差別撤廃条約に日本は加盟している。

それだからこそ、人種差別解消に努めなければならないのだという。

なぜか、アメリカでさえも躊躇しているような条約にさえも日本は国連の名のもとに批准したりしているケースが多い。

捕鯨や女子差別、児童虐待、今はこれらを取り上げないが国内で負けた者達がこれらを掲げて言論の武器にしているようだ。

今回の法案にも出版物への取り締まりも条項に入れられているという。




提案者のみならず、与野党の狙いとは嫌いなものや気に入らないものを合法的に排除することの出来る法的拘束力を持たすということだろう。

しかし、法案を「本邦外出身者」と限定させたことが昨今の問題を如実に表したものだと思う。

ヘイトスピーチ規制はどこまで掛かるかという際限なき所まで広がる。

米軍基地反対運動だって潰される。

外資系企業デモや外資批判の出版物でさえも不当差別として排除される可能性だってある。

非対称性を論った上で限定させたのは賢い選択である。

他に問題が生じればその都度議論を重ねればいいのだ。

江戸時代みたく何でもかんでも禁止の掟なんかやる必要ない。

お上じゃなくて国民が物を考えるきっかけを作らねばならない。

それが公民であり国民である。

お上がそうしろでは江戸時代である。

残念ながら国民はそのことが理解出来ているのがそう多くはない。

だからお上任せになってしまう。

お上に逆らわなければ安泰と考えてしまうのがこの国というかこの列島住民といった所か。

それをそうさせたのは他でもなく警察であって、その国民感情を見事汲み取らせて今のガチガチの規制法案だらけにしてしまったといったところだろう。

本邦外出身者とは何のことか、これは戦中戦前だったら「外地出身者」である。

適法に住んでいるというのも特別永住者のことである。

判っているのかそれが判っていてヘイトスピーチを繰り返しているのか、どうしようもない。

朝鮮半島は長らく李氏朝鮮(李家の支配する朝鮮半島)として500年近く存在していた。

明や清に従い国としての形はなさず附庸国として収まり、苛斂誅求を極めながらも、日清戦争を期に清からの軛を解き放ち独立国『大韓帝国』として出発するのであった。

しかし、当時の大韓帝国の財政は破綻していて日本と合邦せざるを得ない状況まで陥ってしまった。

今で言うところのダイエーがイオングループに入って完全消滅するようなものだろう。

倭国(ジャスコ) が日本(イオン)と名を変えて出発するようなものだろう。

半島に住んでいた者は国籍が日本となり名実ともに日本人となる。

理由は様々であろうが日本(内地)へ渡る者が戦前にはかなり存在していた。

彼等が後の一世となる。 

そこで生まれた者達は二世となる。

兪炳彦(あきひこ)や李明博(あきひろ)はその影響で創氏改名とは関係なく日本名を名乗ったのだろう。

だが、日本が戦争に負け連合国に分割統治されるとそれまで日本人だった人々は無国籍扱いとなってしまうのであった。

そこで、便宜的に図られた籍が即ち“朝鮮籍”であった。

ここらへんがややこしく、理解出来る者が果たしているのかどうかである。 

実際、米ソが半島を統治していてもその当時の朝鮮人(日本国籍保有者たる朝鮮人)には日本国籍がまだあった。

分割統治だったし、まだ南北共々建国されていなかったのでまだ日本人だった。

それもあって日本(ここでは列島含む内地)にいた朝鮮人もまた日本人であった。

それだけでなくサンフランシスコ講和条約が発行されるまで朝鮮は日本であった。

日本政府が連合国との取り決めを認めるまで朝鮮の独立はされることがなかった。※米ソはとっくに南北朝鮮を独立させてしまった。

占領下の日本には外交権などの特権は持ち合わせていなかったので他の国の領有権とか独立とかを口に出来る訳でもなかった。

講和条約で完全に権原の放棄を認めさせ、且つ独立の承認も行うのである。

それでも嘗ての日本領だった国とまともに国交を結ぶのはそれから暫くして後であった。

所謂過去の清算とかではあるが、それは国交を結ぶことにおいてはお互いその主張を放棄することが前提であった。

慰安婦の話も過去のことは全て洗い流すことで始まったのだが…。

それからまた数十年後、慰安婦で突き上げようとしても、日韓合意のもとで行われたので今後ともそういったことで言い合うのは無しよと決まった。

政府レベルで日韓の蟠りをなくそうと努力をするのである。

理由は簡単で、日韓が啀み合っていると北東アジアの安寧が保てないとアメリカが判断するからである。

アメリカが日本と韓国の中が悪かったことは知っていたのだ。

しかし、アメリカがなぜ極東のこんな啀み合いを理解していたのだろうか?

やっぱり、ヘイトスピーチが話題になっていたからであろう。

卵が先か鶏が先か、ではないが何時の間にかあのような事態になっていたのだ。

日本の戦後と、国民の自尊心なんか戦勝国であるアメリカが理解しようとも思わなかったのに。

今迄敗戦国の犯罪民族だと刷り込ませれば日本人は二度と逆らわずに大人しくなっていただろうと、アメリカは考えていた。

しかしそうではなかった。

歴史を回顧する運動が盛んになっていた。

日本人の意識が変わったきっかけは何度も挙げている「慰安婦」である。

歴史教科書に慰安婦のことが乗ろうとしていた。

今迄自虐史観教育で書かれていた教科書に更に「強姦魔」としての日本人のイメージが刷り込まれる。

殆どデマレベルの話題が教科書に載ろうとしていたのだ。

それを改善しようと保守派が立ち上がり、教科書を自分達で作って検定を通そうではないかという運動が起こった。

これは20年前以上の話である。

一気に攻勢が逆転したが戦後体制に乗っかっていた連中は負けじとあらゆる工作を策動して小さな勝利を得ようとしてきた。

こういうシーソーゲームが20年続く。

日本の問題だったのに負けたくない人々は韓国を巻き添えにして逆転を図ろうともした。

押し合い圧し合いの最中、堪え切れずに直截デモに訴えようとする勢力も出始める。

それが昨今の問題の引き金でもある。

しかし、彼等がそこからスタートした訳ではない。

自虐史観で教育しようとしても自分達の教育とは別で元々外国人嫌いは一定数存在する。

公平性を信じる人々もいて、それが重ね合わさったりして、外国人差別に繋がるケースもある。

所謂、在特会系の起こりは韓国人がという問題ではなく、不法滞在者がゴネて居座るのを赦せないと主張し始め、時には不法滞在者への罵詈雑言、誹謗中傷まで叫び始めたりする者が出て来るのである。

ヘイトスピーチ規制は本来であるならばこうした人達を救うべきである筈なのだが、「本邦外出身者」と規定したので法律の意味を成さなくなってしまっている。

なぜ「本邦外出身者」 と規定したのだろう。

理由は「不法滞在者」を保護しようとすると政府の方針が揺らぐからである。

日本は難民を認めていない。

シリア難民を「留学生」として受け容れる。

難民を認めると、外国人が大量に入り始めるからだろう。

日本の富を狙ってくるのが多くなるからである。

テレビでも話題になったが出稼ぎでやって来てビザが切れて不法滞在となってしまった一家がいた。

本来であるならば入管が取り締まって強制送還させるのが普通であるが、その一家には日本語しか知らない子供がいた。

祖国を知らない子供に親と共に強制送還させるのは冷酷ではないかと言う運動が起こった。

それで、テレビで常にやる不法滞在者取り締まりの番組を見て感化された人達はそうした家族に向けて罵詈雑言を浴びせるのである。

テレビの影響力は計り知れない。

警察が常に自分達のレジテマシーを表すために地上波ゴールデンで警察24時系の番組をどこのテレビ局でも行っている。

こう言う番組はいろんな犯罪者を挙げる。

交通違反や路上のいざこざ、万引き、不法滞在者、麻薬取締、 そしてわいせつDVDやら中には児童ポルノソフトとされるところまで大々的に報道して犯罪者を徹底的に取り締まる、という話である。

誘拐犯とかじゃなくて映像を持っていただけである。

こうして警察権力を強めていくのだが、わざと刷り込ますことでオタクまでも犯罪者にしようと仕立てて治安維持につとめていったのだが、どれだけ無辜のオタク達が社会的に抹殺されて来たのだろう。

警察は治安維持の為に真実さえミスリードさせようとする。

麻薬も本来はそうなのだが、取り締まりのためにさも重大犯罪として仕立てる。

性虐待、児童虐待、それにかかる映像記録としての保管、誘拐、売春斡旋、本来はこれを取り締まるべきなのではあるが、世間が不気味と感じるだけでオタクたちを取り締まろうとする法律を作ろうとすること。

世間の心的不安を解消させるための取り締まりである。

属性で決め込んで人を取り締まるのは人権侵害なのではないのかと思うのだが、世間はそんなことも露にも感じていないのが恐ろしい。

それもオタクが幼女を攫うというイメージが付いてしまったためである。

ここ30年の歴史でもある。

世界的に話題になっているヘイトスピーチも難民への迫害を防ぐためなのだが、日本ではそれがあのような形となってしまった。

その対策法に反対した人達はその理由を挙げている。

合法的に住んでいるのなら抑の法律として起用させる必要もないのだ。

人権を守るということは日本でも認めているのだから。

不法滞在者を認めたくない政府の思惑が重なって本来の意味が抜け落ちて、政府の目的でもある体制の維持のためとして表現規制にまで重ねて乗り込もうとしていたのだから恐ろしい。

本邦外出身者とは元々日本人だった者達という意味である。

無国籍となるので便宜的に国籍を与えられる。

このことが理解出来なくて、理解しようともしなくて、恰も不法滞在者としてゴネて居座っていると思い込んでデモを始めたのが在特会であった。

それはデマだったのだが、ただ単に韓国や北朝鮮が憎いからその一角に適法に住んでいる人達に当て擦って攻撃を始める。

分かっていたから今では表現の自由だとしてデモを続けている。

デマであると認めたくないから表現の自由に逃げてしまう。

自分達に落ち度があると認めたくないから、最後の拠に逃げる。

これは負けると死ぬ病気に罹っている人達でもいるのだろう。

負けることを認めると、その場所にいられなくなるからだ。

自分達が作った世間が大事なのである。

反論することも自由である。

反論する表現の自由、言論の自由だってあるのだ。

規制には反対だがそれは大いにやるべきである。

そうしないと、結局蟠りをまた作ってしまう。

そうして「良い方向」へ進むと良いのだが。







ヘイト・スピーチという危害
ジェレミー・ウォルドロン
みすず書房
2015-04-11




ヘイト・スピーチの法的研究
金 尚均
法律文化社
2014-09-16












ネットと愛国 (講談社+α文庫)
安田 浩一
講談社
2015-11-20





 








あした、ネトウヨ治るかな?
Taka
さがみはら文庫
2014-04-03




出版物を挙げたが、かの対策法は出版物への規制まで謳っている。

表現の自由は固より、規制なんかしたら権力維持に手を貸すことになるのではないか。

この辺り鈍感であってはならない。 
共通良識は多数派の情緒、諸行無常、朝聞道夕死可矣、民可使由之不可使知之、倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱、井蛙が良。 新居昭乃、宮澤賢治、本田透、英霊の声、蜘蛛の糸、まどか、まほろ、Fate、みなとそふと系、MATRIX、ドラえもん、ジブリ、エヴァ、マサル、アンパンマン、北斗の拳、夜勤病棟、君の名は。美術館と格闘技が好き。
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