オタク系ロボットアニメが興行収入100億円に届くか、終映まで後僅かとなったが行く末を占う。
届いても届かなくても、世間を巻き込んだアニメとして記憶に残るだろう。
色々なところで論評がなされているので余り言うことではないが、セカイ系の始まりでもありそして終わりでもある。
人はいつまでも子供のままでいる訳にはいかない。
人は歳を取る。
ごく単純なことである。
しかし、父親が長生きし過ぎた。
長生きし過ぎた父親が子供達の成長を阻むことになろうとは。
これは、今のこのコロナ禍でも言える。
親というよりも年寄りが長生きし過ぎて後世の成長の阻害をさせている。
シンエヴァは旧世代と新世代との対決となろうかと思ったがそうはならなかった。
所詮戦後民主主義生まれの年寄り達と子供達が真っ向から闘える筈もなく、落とし所をつけるべく所謂和解の申し出という結果に見えた。
「正」と「反」との行く先に「合」があるようなそんな感じ。
アウフヘーベンAufhebenということらしい。
だが、現実はこの和解すらない。
殲滅でしかない。
未来少年コナンだったら旧世界の人間は新世界の子供達に明け渡すという「大人達」の選択を見せたが、シンエヴァの場合は、勿論そんな対立もなくやはりそこは未来少年コナンと同じく「大人しく退場」したことだろう。
大人達があまりにも情けない。
子供に大人達が情けないことを見透かされてしまっているのだ。
大人が長く生きた分だけその醜態を晒し続けて子供に説き伏せられることになるのである。
燐鉱石で豊かになっていたナウルという島国の逸話を思い出す。
信天翁(アホウドリ)の糞から採れる燐鉱石によってナウルは一気に豊かになる。
島民達は働くことを辞めて(止めてではない)豪奢の限りを尽くした。
島民が日本のディズニーランドまで遊びに来ていたという。
とは言っても資源は無限にある訳でもなくいつしか掘り尽くしてしまうのであった。
遊び尽くした島民達は働くことすら忘れてしまったのでどうやったらお金が楽して入るかと言うことしか頭になかったという。
マネーロンダリングの地にもなってしまったりと散々である。
そして働きもしないから島民の健康状態も悪くなり肥満率も多くて糖尿病患者数も多くなってしまったという。
流石にこのままではいけないと言うことに気づいた若者達は漁に出かけたりと大人達がすっかり忘れていた労働を真面目にするようになっていったと言う。
燐鉱石は掘り尽くしたと言う訳でもなく、採掘方法も編み出されていて幾らか収益を得ていると言う。
未来少年コナンもこんな感じだろう。
文明に溺れた世代を他所に今の世代が必死になって今を生きているのである。
エヴァはこれまで「だからみんな死んでしまえばいいのに」だったのにシンエヴァになってからいつの間にか「生きる」という選択肢を選ぶようになった。
死ぬことが幸福ではないというのはこれまでのエヴァシリーズを通して語られて来た。
何度も碇シンジを助けに来るのは渚カヲルである。
丸でミチビキエンゼルではないか。
ドラえもんのミチビキエンゼルはこの道を通らなければのび太が不幸になると進言する(殴り続ける)のだが、のび太は不幸になってもドラえもんが助かる道を選ぶのである。
寧ろミチビキエンゼルじゃなくてカヲルがドラえもんそのものといった感じだ。
現実の庵野秀明の周りは守護天使だらけである。
空から降って来た少女が正にヒロインになろうとは。
このヒロインを選べばバッドエンドになるという「現実」を突き付けられるのだが、旧劇はそれやってしまって物凄く大反撥を食らってしまったのである。
エヴァが放送されてから四半世紀も経つ。
子供は直ぐに大人になる。
分からなかったことが今になって分かる。
それが大人になるということである。
本田透が旧劇で裏切られたとして必死になって自ら萌えを内包して自力救済に努めたと言うが、その本田透自身もセカイを知るようになって現実を受け容れるようになっていく。
文字通りの井蛙の故事成語を思い浮かべる。
井戸の外から出た蛙は今後厳しいセカイを生き抜くことさえも分かっているが十分に生きていけるだろう。
シンエヴァはセカイ系としては終わったが蛙達は今外に出たばかりなのである。