艦これ批判で炎上したことはこれまで説明して来たし、今更説明する必要もないのだが、それでも何故彼等が見当違いな批判を続けるのだろうと思ったが、嘗てNHKか何かの討論番組で若者と中年を交えて意見を交わすということがあった、と言うことを思い出した。
「日本のこれから」と言う番組だった。
出演者の中には当時名もそんなに知られてはいなかった古谷経衡がいて歴史問題を語ったのだが、そこを崔洋一が透かさず「歴史を語る資格がない」と言い放ってねじ伏せようとして、それが話題となっていた。
タイトルの付け方は下品だが、その件の動画があったので了承されたし。
こちらはカットされた部分を古谷本人がネットや動画で弁明する(説明)という後日譚。
これは古谷本人が降臨した時の2chのログ。
古谷だけど質問ある?
これは古谷本人のサイトでその詳細が書かれた記事。
NHK総合「日本のこれから、共に語ろう日韓の未来」出演
やっぱり時が経ってもそういう状況は変わらない場面に出会す事はある。
この前の橋下徹と桜井誠との討論なんかそうである。
橋下は端から話そうとする気はなかったからああいう態度に出た訳だ。
屑相手に討論する意味が無いと。
在特が屑なのは確かでそこは同意だが。
しかしその行為が裏目に出てしまったのか、橋本の株を下げた、と言う印象を世間に与えたのだ。
それはテレビ出演していた夜回り先生の水谷修やネットと愛国の著者の安田浩一もそう証言していた。
まあでも橋下って元からあんなんだし、ストップ安だからいいんじゃなのかと思った。
この事はめだかボックスで言うところの上から性善説というところだろう。
反論不可能な正論、勝ち目のない試合をさせられる悪役、札付き、レッテル、言ったもん勝ち、弱い者いじめ、これが現実を支配する言論であり価値基準なのである。
その崔洋一を大月隆寛は月刊誌で詰った。
大分前だったか、詳細は覚えてないが、「とっくに無くなった父権主義を振り翳す」というような言葉が出て来た時には嗚呼成程、そういうことだったのかと胸が空く思いをした。
別に溜飲が下がった訳ではない。
納得したのである。
大月は掃蕩言論(お掃除言論)をしてくれるから面白かったりもしたのだが。
北京五輪の長野聖火走者で価値を大幅に落とした欽ちゃんを詰った時も納得がいったのを覚えている。
そう、別にギャグが言い難い状況だったら言わなくても良かったんだ。
誰も求めてはないし、寧ろ長年のギャグコントを言わねばならぬと言う芸人人生があのような中途半端なコメントを生み出してしまったのだろう。そうなるともう、芸人としての価値はお終い他ならなかった。
艦これ批判も、結局自分の崩れ去る価値を保守したいがための批判(やっかみ)に似ているのかなと思った。
前にもとっくに説明したのだが、艦これ批判は見当違いのことを何度も反論して来たのにそれでも為にする批判を繰り返してきたのには正直呆れてしまったのである。
誰かが言っていたが、サブカル崩れがなすことだと。
それで全てが説明出来るとも思った。
サブカルチャーの担い手にもなれなかったから、彼等はサブカルやオタクを詰ったり敵視したりして来た。
自分達の存在意義を確かめたくてずっとしつこく攻撃する。
自分の人生が否定されないように、自分達の人生や主義主張が間違っていなくて正しかったことの証明に政治活動にコミットすることで存在意義を保ちたかっただけに過ぎなかった。
だから本当に被差別者や少数者に「泥棒」と言われたりもする。
それではそのしょぼけたサブカル崩れに威厳を持たすにはどうするか、もう分かったことだが、特に理由は要らず世間が正しいと思ったような俺様常識を持ち出して新参者に対して威厳と権威を振り翳すのである。
これが「父権」である。
まともな父権ですらなく、ただ老けているだけで何もない空っぽの状態の自分を担保するために使い古されて誰も手にしないような「父権ソード」を振り回しているだけなのである。
実はこれを使うのは保守派じゃなかったりする。
意外とリベラル主義者だったりする。
要は権威主義者なのである。
自分達がこれまで父権的なるものを敵視して、伝統的な価値観を壊そうとしたのに、いざ誰も自分達を支持しなくなると持ち出して来るのが、父権崩れの権威主義だったのである。
自我を保ちたいから、彼等はブロックしたり纏めに晒されないように工夫をしているようだ。
まあこれはどうでもいいことだが。
あの時は古谷は父権パンチを食らって傷一つつかない状況で、相手の崔がボロボロになりつつも判定勝ちを得たような状況に見えたが、もう今は違うだろう。
言論ボクシングやってもフルマークKO勝利くらい出来るんじゃないのか?
若者や若手は、先ず退治する相手はこう言った中身すっからかんの父権オヤジやサブカル崩れの相対主義者を狙った方が良いんじゃないのかと思う。