多い訳ではないが、世間とのコミュニケーションが稀薄だったりするとそのような認識に陥りがちになる。
外界との交流を断たれたか、あるいはそういう世間に対してこっちから願い下げだとして近寄らなくなるのか、一部いることは確かだろう。
実はそう言うのが誰だったか言うと、オウム真理教なのである。
彼らについては改めて説明することもないが、被害妄想を募らせてテロを起こしたのである。
自分達のプライドを維持したい、縦令現実世界でも己の能力に限界を来しても。
一部の特権意識を持ったオタク達は斯様な被害妄想を抱いてたりする。
だが、何処までがエリートなのかさえわからない。
元々コミュニケーション不足故に力量さえ図れない。
佐賀バスジャック犯のように自意識を肥大化させても結局は普通以下の知能しか持ち合わせてなかった事がバレてしまった。
化けの皮が剥がれるのはオタクだけでなく誰しもが嫌なんだよね。
それ故に、意見や事実を悟られる前に相手の人格を詰ることから始めようとするのだ。
特に、オタクはそういうのには敏感で攻撃に耐えられずに迫害されていると思い込んだりする事が多々ある。
慣れてしまったという人もいるが、そう思い込まされている人もいる。
多少厄介である。
なぜ其処迄なってしまったかというと、理由は様々だろうが上記のように人格と意見を混同してしまうことから勘違い、思い込みを増幅させることにある。
彼らの人生を恐らく眺めることなんてそうそう出来る事はないだろう。
オタク達が自分がオタクだから迫害されている、と思い込むことがある。
実はこれは瞞しで、気付いていないのか或いは本当のことを自覚したくないからなのか、重要な事が隠されている。
上にも挙げたが、彼らが責められて来たのは、彼らの趣味でも何でも無く「人格」を詰られてきたからなのである。
酷いよね。
いじめの殆どは趣味を詰ることではなく、人格や成績を端に発するのだが、そこに誰も気付かない。
学校はそういうところでもある。
薄情な世界に放り込まれてしまっているが、自分達の能力が明るみに出てしまうところでもある。
平等な世間を好む日本人の性格からすれば、上に出ても下に出ても突出するものを省こうとする。
これは虐められる子供だけでなく、所謂素行不良なんかもそれである。
彼らが学校へ行かないのもそれだったりする訳だ。
実はヤンキーとオタクは一見ベクトルが逆だが驚く程親和性が高かったりする。
よくよく考えて見れば誰も彼ら自身の趣味を詰ったりはしない。
その事に一体いつになったら気付くのだろう。
所謂ヤンキー文化も責められない。
ヤンキーの数が多いからではない。
知らないことには手を出さないという怪力乱神を語らず、触らぬ神に祟りなし、そういう言葉があることを思い出すべし。
家の外には人は余り興味関心を持たない。
実はこの事が仇となって児童虐待に目が向けられないということもあったりする。
偶に、オタク文化に顔を突っ込みたがる連中がいる。
己自身そんなに興味ある訳ではないのに。
馬鹿にするという目的もあるだろうが、大体優劣を付けたがるミーハーだったりする。
これもあるから外の世界はオタクに薄情と思い込んだりしてしまうのである。
事実(此処では現実)を認めたくないという事から、自分の趣味が人格と一体となって詰られると思い込む。
そう思っているのならオタクなんてやめちまえと思ってしまう。
自分が好き好んでオタクやっているのではなく、いつの間にかオタクになってしまったという名言がある。
好きで趣味に没頭する、と言う事からだろう。
実はオタクなんていつでも辞めることだって可能である。
集めている没頭している物、事を捨て去ってしまえばいいのだから。
趣味が人格の一部であることは言うまでもないが、それが全てであるかのように思ってしまうのが、この現代社会の徒花なのかも知れない。
頭の奥底で燻っている感情を物を買う事で満たしているんだよね。
それが更に感情を増幅させる。
だからこそ、趣味が止められない。
パチンコ中毒と同じで、届かない感情を物で買うことで代替してる訳だが、そこを上手く衝いているのが現代資本主義の構造なのである。
アイドルに嵌る感情も同じだよん。
グッズを買い漁る行為で一体感を得ているんだから。
外から見れば皆異常に見える。
いい歳こいてそんなものに嵌るなと言われた事があるだろう。
アイドルに嵌る行為を捨てることが出来るのはその夢から覚めた時である。
アイドルがアイドルを辞めますと言った時。
アイドルが不祥事や醜聞で辞めざるを得なくなった時。
でも、大量のお金と時間を費やしても誰もそれを無駄に感じることなんてないのである。
趣味を詰る人は、何にお金を使ったらいいのだろうか?
多分、彼ら自身から回答は出て来ない。
子供の感情をコントロールしようと趣味を詰り物を捨てさせようと教育ママ達は画策するが、そうやって立派に育つことなんてないのである。
感情が壊れたまま成長した人がどのような末路を辿るか、我々はそういう例を沢山見て来た筈である。
それでも彼らはオタク趣味が悪いと詰り始める。
自分達がそうさせたという自覚を持たぬまま。
先天的に壊れる人もいるが、後天的に壊された人もいる。
大体、人は壊される前に耐え抜いて成長し大人になって趣味に没頭し始める事が多いのである。
それでも壊されてしまって、趣味に感情を移入できなくなる人もいるようだが。
と、そう考えるのはあの黒子のバスケ脅迫事件の脅迫犯だったり、PCウィルス遠隔操作事件の犯人だったり、秋葉原の大量殺人犯の例を繙いているだけである。
見たくない現実、信じたくない現実を皆思い抱くんだよね。
そう振り返って、迫害されてきたという感情が残って今に至ることがある。
趣味が理解されないと言う事があるだろう。
でも今は出版の自由だし言論の自由だし表現の自由を「憲法で認めている」ではないか。
自分が理解し難きものは潰してしまえと考えている人が多いのである。
それは迫害されているオタク自身にもあったりする。
今更ネット規制して潰すのか。
江戸時代じゃないし、まあ江戸時代こそ、規制して人の感情を抑え付けて統治すると言う見本みたいな時代はなかったろう。
江戸時代の頃から日本人の感情、性格や統治機構が醸成されたんだろうと思う。
為政者の考えていることは大体は江戸時代である。
当時雨の人達は随分生きづらい時代を生きて来たと思う。
この頃から同調圧力も完成されて、自分の卑怯な感情を弱者へと押し付ける慣習も造成された。
身分制度なんか良い例である。
そんな物ないと言っている者は、どうして明治時代に華族士族の制度が残されていたのか考えてみると良い。
特に士族が残された理由は歴史を知れば判るのだが、彼らの不満を躱すためである。
実際は士族なんてのは江戸時代に既に衰頽していて商人(農民にも)に馬鹿にされていて、明治には既に能力を喪っていた。
刀を持つことも許されておらず、商売始めても殿様商売だから益々没落する一方であった。
要するに、今でいうところの年金制度みたいなもんだ。
士族はもう昭和くらいで無くなって、華族もその頃から有名無実化してくのである。
士族の子孫ているのか?
伊達みきおは伊達政宗の親戚の子孫だが、もう士族じゃないだろう。
仙台藩は華族だったか。
少し話がずれた。
不満分子を持つ者に対してお上が施す処置が先に挙げた身分制度である。
武士階級には取り敢えず名前を残して「士族」ですよと。
それでも明治の時代の流れについて行けずに乱を起こすバカタレも存在した。
萩の乱とか神風連の乱とか西南戦争とか。
ラストサムライとかるろうに剣心とか、藤原竜也や吉岡秀隆が演じた『遺恨あり』と言う仇討ちをテーマとしたドラマスペシャルなんかあれを顕現化させたようなもんだ。
今で例えるなら、膨れ上がる社会保障を受ける老人世代に対してオリンピックと言う餌を与えるようなもんだろう。
老人には死ぬことへの恐怖がすぐそこに存在する。
それを解消させるためには何かで誤魔化し続けるということをさせる。
老人が理解し難い文化を規制させたり、犯罪に結びつきそうなものを何でも規制させようとする動きなど。
実際に老人の社会保障を支える若年層の不満の方が燻っているのだが、それから目を背けさせようと情報を遮断させたりするのである。
でも、そんなことは直ぐバレてしまうからネットでは老人への不満や憎悪だって飛び交っている。
彼らの不満を解消させるために、ネットが存在する。
お上はやろうと思えばネットを規制することだって可能である。
でもそれをさせないのはネットが不満解消のツールとして役立っているからである。
逆にそうした不満解消ツールがあっても先に手を出したのがオタク達だったから最下層に置かれることがなくなった。
メカに強かったんだね。
だが、それもそんなに天下は長くは続かなかった。
ケータイが流行ったから。
ネットは直ぐに現実とリンクして益々オタク達は追いやられることに。
と言うよりも、ネットにオタク達が築いた遺産が残っていたから新規参入者はオタク文化に触れることになって、彼らと共有することになるのだが。
それで漸く、『オタクは死ぬ』ことになるのだ。
ネットにはオタク関連で溢れているではないか。
やはり、何処が迫害されているのだろうかとさえ思ってしまう。
結論は先に出してしまっているが、迫害しているされているのは自分自身の影ではないのかと思う。
現状としてはオタク自身が過去に囚われていると言う事、そのオタクを草刈り場として利用しようとする権力者がいること、文化に対してついて行けない理解できない人が規制させろと働きかけること、これらが相俟って迫害されているという認識を生んでしまっていることだろう。
これさえ乗り越えれば良いということなのだろうが、まだまだ皆は魔女狩りの社会に住んでいる。